ピルが原因の脳血栓症を乗り越え、40歳で出産 “プリンセス・メグ”栗原恵さんが語る妊娠までの軌跡

フォトグラファーのKoukiさんとの結婚を9月に発表し、今月22日には第1子出産をインスタグラムで報告した元プロバレーボール選手の栗原恵さん。解説者やスポーツコメンテーターとして活躍しながら、ファッションアイテムをプロデュースするなど活動の場を広げています。先日、出産前の栗原さんに心境や感情の変化などインタビューしました。選手時代に悩まされた生理、そして30代で突然襲われた病など、女性としての体と向き合いながら過ごしてきた栗原さん。その思いを語ってくれました。(※取材は2024年12月上旬に行われたものです) 40歳で訪れた結婚と妊娠のタイミング 今、私のお腹には新しい命がありますが、生理不順に悩んだことや、32歳のときに大病したことなどがあり、実は長らく妊娠は難しいのではと思っていました。 兵庫県にあるバレーボールの強豪校に転校したのは、中学2年生の頃。当時は生理不順で、ずっと経血が出ている状態が続き、6月に転校したので体育の水泳の授業は毎回、見学していたんです。それで体育の先生に事情を話したら、「病院へ行ったほうがいい」と言われて。 診察をしたら、環境の変化と急激な練習量の増加、そしてひとり暮らしなどによる精神的負担からくるものでした。その後、新しい環境にも慣れると、自然と生理の間隔も戻っていきました。 そういった経験や、生理痛とPMSが重かったことから、生理がプレーやコンディションに影響していると感じていました。さらに、3回目の膝の手術につながるけがをしたときが、ちょうど生理のタイミングと重なっていたのもあり、その調整をしたいという思いからピルを飲み始めました。 ピルは、けがのリハビリ期間に婦人科で診ていただき、医療処方をしてもらいました。最初は吐き気や食欲不振などがあり、薬に慣れるまでに少し時間がかかりましたが、コンディショニングがとても楽になりました。 その後、32歳のときにひどい頭痛でトレーナーに連れられて病院を受診すると、「脳血栓」を発症していました。原因はピルの“副作用”。低用量ピルで血栓症を起こす確率は、年間で1万人のうち数人といわれています。すぐに投薬治療を始めて、4か月後にはコートに戻りました。 それから2年半プレーし、現役を引退したのは34歳のときです。脳血栓という病気を乗り越えて復帰して、すごく体のコンディションも良くて、所属チームから「もう1年どうですか」と言ってもらえたときに「今のタイミングで辞められたら、バレーボールに未練が残らない」と次のステージに対して楽しみを抱いている自分に気づき、引退を決意しました。

長澤まさみ、“1件残して全削除”していたフォロワー370万人超のインスタを約1年ぶりに更新 スタイリングを担当した“芸能界のお姉さん”のためか

フォロワー370万人超えの巨大アカウントが、再び動き出した。12月1日、長澤まさみ(37才)が約1年ぶりにインスタグラムを更新。彼女は2023年11月、投稿を1件だけ残して突然“全削除”したことで話題になっていた。 「当時、所属事務所は《深い意味はございません》と説明しましたが、急な出来事に心配の声も上がっていました。それだけに、今回の再開はファンの間で注目されている。何か心境の変化があったのか……」(芸能関係者) 復活投稿の第1弾を飾ったのは、長澤がモード系ファッションに身を包んだ1枚のモノクロ写真だ。 「生足の美しさが映える大胆ショットです。さらにアイコン写真も、洗練されたニットを着こなす長澤さんの写真に変わっています」(前出・芸能関係者) それらの写真は、長澤の“芸能界のお姉ちゃん”とも言うべき人物がスタイリングを担当しているという。 「所属事務所の先輩である野波麻帆さん(44才)です。最近は女優業に加え、スタイリストとしても活動しています」(前出・芸能関係者) 7才違いで、長澤が小学生のときに出会った2人は「まぁちゃん・麻帆ちゃん」と呼び合う仲だという。 「定期的にプレゼントを贈り合うなど、プライベートでも仲がいいそうです。実は服好きの野波さんに、『スタイリストをやってみたら?』と提案したのが長澤さん。2024年からは2人でタッグを組む仕事が連続していて、専属スタイリストのような存在になっている」(ファッション誌関係者) 以前、野波はインタビューで《パブリックなイメージとは違う、本当の彼女の姿を見せたい》と語っていた。長澤の“素”を知っているからこそ、引き出せる魅力があるのだろう。 「実際、彼女が選ぶ服の組み合わせは、『これまでの長澤さんのキャラクターとはひと味違う』と評判です。長澤さんとしても、自身のSNSを通して野波さんの仕事ぶりを発信したかったから、突然の再開となったのかもしれませんね」(前出・ファッション誌関係者) 所属事務所は今回の再開について「気分だと思います」と回答したが、巨大アカウントの影響力は計り知れない──。 ※女性セブン2025年1月2・9日号

女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」

女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」 身近な存在であり、同じ女性だからこそ、母親の存在は強く、影響されやすい。 作家・下重暁子さんは、女優・秋吉久美子さんが尊敬する母親を“家庭内キャリアウーマン”と表現する。秋吉さんが幼少期の頃、交友関係に口を出さず、いつも相手をリスペクトしていた母。そして、夫がアポなしの来客を連れてきてもテキパキと応対した。 “暁子命”だったという下重さんの母親。しかし、高校の同級生で下重さんが一方的に好意を持っていたという金髪のクラスメイトに対して、ネガティブな発言をしていたことを聞いた下重さんは、憤慨したと振り返る。 2人が母親から受け継いだものは何なのか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんによる特別対談『母を葬る』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。 母から受け継いだもの 下重: そういえば秋吉さん、この対談で初めにご挨拶した時に、私のことを「下重先生」なんて呼ぶものだから、仰天しましたよ(笑)。慌ててやめていただいたけど、あれはいったいどうしたの? 秋吉: これは私なりの仁義の一つなんです。年上の女性に対しては、とりわけ尊敬の念をもって接するように心がけている。自分よりも多くの年月を生きている人には敬意を払ってしかるべきだと考えていますから。 下重: そういう思いが込められていたということね。それは、相手が身内であっても変わらない? 秋吉: そうなんです。母のことは好きだったし尊敬もしていた。相手へのリスペクトをもって接するという心の持ちかたは、後に社会へ出てからも私を支えてくれました。 下重: そうでしょうね。 秋吉: 私が小学生の頃、非常に貧しいおうちの友達がいたんです。同級生の女の子でした。私は何も気にしない性質(たち)ですが、母も「遊んじゃだめ」なんて一言もいいません。穏やかな優しい子で、おはじきを教えてもらったりした。夢中になるとお互いの頭がくっつきあって、それでどうやら、私の髪にシラミが湧いちゃったんです。 下重: その子の髪から、秋吉さんの髪にシラミが移ってきちゃった? 秋吉: おそらく。それを見つけた母は、「あらあら、シラミがついてきちゃったわね」というと、丁寧に櫛ですいて、親指の爪で一つひとつプチンとつぶした。 下重: 素敵なお母さま。 秋吉: やがてその女の子は別の地域の市営住宅へ引っ越していきました。それっきり、一緒に遊ぶどころか顔を合わせることもなくなった。それが、小学校も中学校も卒業した頃、母が街でその子とばったり再会したというんです。 彼女は中学を出てお勤めしていたらしくて、母は「今も笑顔がかわいかったわよ」っていうんですよ。大げさに思われるかもしれないけど、あの時、母の顔がマリア様のようにみえた。 下重:…