いらだち、怒り、嗚咽…犠牲者家族の待つ務安国際空港ロビー「極限状態」の空気

【12月29日 KOREA WAVE】「最初に聞いた時、他人の事だと思いました」 韓国全羅南道(チョルラナムド)の務安(ムアン)国際空港ロビーで29日午後、光州市出身の60代男性は、充血した目でこう語った。事故に遭った済州航空2216便に義兄が搭乗していたという。「胸が詰まるような思いと怒りで、酒も飲んだ」。それ以上言葉を継ぐことができなかった。 しばらくして、男性はこう口にした。 「こんなことを言ってはいけないが、身元が確認された方々がうらやましい。おそらく、その方々は(遺体が比較的)無傷の状態で収容されたため、身元確認が早かったのだと思う」 務安国際空港ロビーでは、泣き声と嘆きが途切れることがなかった。70代女性は足を踏み鳴らしながら嗚咽していた。 遺族らは午後1時ごろ、空港関係者の指示に従い、空港1階で待機していた。ある遺族は移動中、別の家族に出会うとその場に座り込み、抱き合って泣き崩れた。70代女性が階段を下りる途中、力が抜けてふらつく場面もあった。夫と思われる70代男性が彼女を支えていたが、彼自身も涙を流していた。また別の70代女性は、かすれた声で「うちの娘がいなくなったらいやだ」と繰り返し、すすり泣いていた。 状況把握が遅れるにつれて、遺族らの不満が高まっていった。 午後2時30分ごろ、ある遺族が「私たちはここに4時間もいるのに、何も変わらない」と訴え、「1階に移動させられて、テレビだけ見ていろというのか」と声を荒らげた。さらに「4時間の間にブリーフィングはたった1回しかなかった。遺族なのに、情報はテレビを通してしかわからない。これが本当に腹が立つ」と話した。 午後3時10分ごろ、イ・ジンチョル釜山地方航空庁長が訪れ、関係機関の合同ブリーフィングを開いた。このブリーフィングには、国土交通省、行政安全省、消防、警察、保健所が参加した。イ庁長は「30分ごとにブリーフィングを開く。身元確認を急ぐ」と述べた。 消防当局は、29日午後4時現在、22人の身元確認が完了したと発表していた。遺族らは犠牲者の名前が呼ばれるたびにその場に座り込み、涙を流した。 消防当局は、事故発生から身元確認まで約7時間かかった理由について、「科学捜査隊が約40人出動し、身分証と指紋を確認した」と説明した。また「遺体が損傷しているケースや身分証を所持しているかどうかの確認が必要だったため、身元確認に時間がかかった」と述べた。 専門家らは、160人余りの死傷者が発生したことについて▽滑走路に特殊な泡「フォーム」を敷かなかった理由▽代替滑走路を検討しなかった理由▽燃料を消費させる手順を踏んだかどうか――などの点を検討すべきだと指摘している。 匿名を希望する航空宇宙学科教授は「胴体着陸というのは基本的に空港側に準備を求めるものだ。消防車が滑走路にフォームを撒いて、着陸の際の衝撃を軽減させるべきだ。このような準備がない状態でなぜ胴体着陸を強行したのか疑問だ」と述べた。

屈辱的惨敗にステージで立っていられず嗚咽…プロデューサーたちもあまりの残酷さに直視できず…異様な空気に包まれ会場騒然

ボーイズグループオーディション番組『UNIVERSE LEAGUE』第5話にて、BEATチームレギュラーがまさかの敗北を喫し、チャ・ウンギ(22歳)が号泣した。 『UNIVERSE LEAGUE』は、ガールズグループUNISを輩出した『UNIVERSE TICKET』の2ndシーズンとなるグローバルボーイズグループオーディション番組。今回は42人の参加者がそれぞれ「BEAT」「GROOVE」「Rhythm」の3チームに分かれ、デビューを掴むためにリーグ戦形式で競い合っていく。3チームを率いる監督は、BEATチームがGOT7のユギョムとプロデューサーのEL CAPITXN、GROOVEチームがBTOBのイ・チャンソプ、RhythmチームがWayVのテン、ヤンヤン。MCはパク・ジェボム(Jay Park)が務める。 お通夜のような雰囲気に、勝利チームも「気の毒」 サバイバル番組『UNIVERSE LEAGUE』 2ラウンド「INTERCEPT(新曲争奪対決)」で対決した、BEATチームのレギュラーとGROOVEチームのベンチ。BEATチームレギュラーのウンギはチームでメインボーカルを務め、青春の過程が綴られた楽曲「MAMMA MIA(WHO WE ARE)」に自身の姿を重ねて、「絶対に負けられない」と、並々ならぬ気合いで練習を続けてきた。しかも相手チームはかつてかつて同じTO1というグループのメンバーとしてウンギと共に活動していたチャン・ギョンホ(23歳)がいるチーム。2人には因縁があり、今では連絡先も知らない仲となってしまった。さらにギョンホはステージでウンギをライバルから敵視し、ステージは異様な空気に包まれていたのだ。 ところが本番の対決を終えると、BEATチームレギュラーはまさかの敗北。メンバーは呆然とし、EL CAPITXNも「信じられない」とこぼす。ウンギは客席に背を向けて嗚咽。涙が止まらず、ついにはしゃがみ込んでしまった。その様子を間近で見たギョンホもあまりに気の毒に思い、胸を痛める。そしてウンギに近寄り「よく頑張ったよ」と労った。 落ち込むBEATチームの待機室にも、ウンギの泣き声のみが響き渡る。お通夜のような雰囲気に、EL CAPITXNは耐えかねて席を立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。勝利チームのチャンソプも、「いくら競争の場だと言っても気の毒に感じてしまう」と、胸を痛めて語る。 落ち込みながら控え室に帰ってきたメンバーたちを、ユギョムは優しく抱きしめて「大丈夫だよ。みんなは何も悪くないし素晴らしかった。本当だよ」と讃えた。

「3人娘」園まりさんを盟友が悼む「私にくれる衣装を全部分けてくれていた。ご会葬も自分で全部書いていた」

2024年も多くの著名人の方々が鬼籍に入られました。スポーツ報知では、身近な人の証言や知られざるエピソードとともに、故人をしのびます。 * * * ◆7月26日 歌手・園まりさん(急性心不全で死去、享年80歳) 園さんが旅立ち、5か月が過ぎた。「3人娘」として共に一世を風靡(ふうび)した歌手の伊東ゆかり(77)は「やっぱり寂しいです。年齢の順番でいけば、まりさんが先に逝くんだけど、こんなに早く別れが来ると思っていなかった…。まだ、そばにいる感じがしますね」と話した。 1962年に同じ事務所の園さん、中尾ミエ(78)と「3人娘」を結成。テレビ番組「スパークショー」でブレイクし、国民的人気を誇った。「当時は私とミエちゃんがやんちゃして、まりさんが遠くで見ている感じでした」 園さんとの関係性が濃くなったのは再結成した2004年以降、50代に入ってからだった。「健康の話とか『本当はミエさんが怖かった』とか(笑)、ちょこちょこ電話で話したり。私もまりさんも脂っこい食べものが好きだし、にんにくも好きで食が合ったのかな」 亡くなる5日前、病院を訪ねた。「ミエさんにあげるもの、私にあげるものって、衣装、アクセサリーを全部分けてくれていた。ご会葬(御礼)も自分で全部書いていらした。ある時期に死期を悟って冷静に努めるなんて。不思議よね」 譲り受けたステージ用ドレスは丈を直し、11月19日のNHK「うたコン」で着用。天国の園さんに届けと言わんばかりに「スパーク3人娘メドレー」を歌った。「LINEのやり取りも、電話帳も消せないわ。本当に遠くへ行っちゃいそうだから。歌手仲間というより、私にとっては心の友です。まだ聞いていない話もあったから、それは天国で聞かせてね」(加茂 伸太郎)