閉店したおもちゃ屋を清掃→まさかのお宝発掘に業者びっくり 400万円超の“臨時収入”「こんなことになるとは」

閉店したおもちゃ屋の清掃を依頼されたところ、まさかのお宝が……。ネットオークションで売りに出すと、予想をはるかに超える金額で売却されたという業者がいる。詳しい話を聞いた。 「こんなことになるとは誰も想像してなかったですね。残置物とかは、今までもオークションに出していたんですよ。過去の件数で言うと、6000件以上は出してきたんですけど、こんなことは初めてで、エッ! ってなりました」 新年早々、幸運な話を語ってくれたのは、大阪を拠点に不用品回収やハウスクリーニングを行っている不用品回収ゼロの永留統道代表だ。昨年は約1800件の現場をこなし、そこで手に入れた残置物を家主の許可のもと引き取り、オークションに出すことがある。 思わぬお宝が眠っていたのは、昨年夏ごろに片付けを行った大阪市内の現場だった。 「もともと昔のお菓子・おもちゃ屋さんで、片付けの依頼がありました」 店はすでに閉店。中には大量のおもちゃの箱やゴミが無造作に置かれていたが、「だいたい空の箱で、買取の判断ができないものばかりでした」。その量は2トントラック十数台分で、処理するだけでも大変だった。 一方で、一部のおもちゃはムキ出しのまま放置され、中身が入っている箱もあった。 「回収で出てきたおもちゃは転売OKの現場だったのでかき集めてオークションに出したんです」 特別おもちゃに詳しいわけではない永留さんは軽い気持ちで出品。スタート価格はいずれも800円からで、大きなもうけは期待していなかった。 ところが、フタを開けると、みるみる価格は上昇。2万円や3万円、中には10万円を超えるおもちゃが続出した。 「お宝感は全然ないです。普通に箱もボロボロなんですよ。中身も『リカちゃんの靴』とかなので……。それが何万円、何万円と積み重ねていって、プレミアついているやつが溜まりに溜まって1か月で200万円。次の月も250万円だったかな? その後もちょこちょこ、今でもまだ出しています。すごいです」 クリーニングの作業代金が100万円のところ、これだけで450万円の“副収入”。従業員もみなびっくりしているという。 おもちゃは主に昭和に作られたレトロなもので、マニアから見れば垂ぜんのお宝だったようだ。「完全なお宝でしたね。平成のものはなかったはずです。ミニカー2つで6万円とかやばいじゃないですか」。ロボットやフィギュア、マージャン牌、タイトルを聞いても分からない古びたゲームソフトも含まれていた。「点数で言うとざっくり150点ぐらいだったんじゃないかなと。1つの現場で400万とかは初めてで、珍しいです」と付け加えた。

「朝と夜にお題目をあげるのが目標」 鈴木奈々が創価学会への“熱烈信仰”を告白 氷川きよしも「池田大作先生の言葉が心の支え」 有名人の「カミングアウトラッシュ」の理由とは

タレントの鈴木奈々が今年8月、長きにわたる創価学会への信仰をカミングアウト。現在、教義の広報にも積極的に携わっている。さらに、11月14日、歌手の氷川きよしも聖教新聞社発行の雑誌「WORLD SEIKYO」VOL.5のインタビューにて人生の支えが「信仰だった」と告白。「カミングアウトラッシュ」とでも呼ぶべき事態となっているのだ。 ここ数年、公明党は党勢の衰退に苦しんできた。先の衆院選で獲得した比例票は596万票にとどまり、令和3年の前回選挙から114万票も減少。現行の選挙制度が導入された平成8年以来最低の得票で、過去最多得票を記録した平成17年の衆院選での898万票から3割も減らした計算となる。 このような状況の中、鈴木と氷川という有名人二名が信仰を大々的に告白したことは、党勢回復の一助となるのか――。 熱い信仰心について告白 創価学会の信仰厚い芸能人が、その教義を宣伝し、「広告塔」的役割を果たしてきたことはよく知られたところ。その役割を担ってきた芸術部員として、山本リンダ、岸本加世子、久本雅美などの名前が有名だが、そこに新たな二名が名前を連ねることになるのだろうか。 鈴木奈々はモデル出身の36歳。雑誌「Popteen」でデビューし、人気となった後、バラエティーに進出。「おバカキャラ」でブレイクし、一時は「バラエティー女王」の異名を取るほどの人気タレントとなった。2014年には一般男性と結婚したが、2021年に離婚している。 宗教とはほど遠いイメージだった鈴木の名が突如、聖教新聞の1面に躍ったのは、8月6日のことだった。〈私の未来部時代〉という連載の第4回に顔写真入りで登場して、熱い信仰心について告白したのだ。 氷川も「(人生の支えは)創価学会の信仰だった」と告白 一方、今回が初のカミングアウトとなった鈴木とは異なり、氷川が学会員であることはこれまでも知られていた。例えば、お笑いタレントで元創価学会員の長井秀和氏(西東京市議会議員)は、かつて、氷川と共に、創価学会の本部幹部会で池田氏に激励を受ける機会に恵まれたことがあった。その際、心酔した様子の氷川は、涙ぐみながら壇上の池田氏を見つめていた――と昨年、「週刊新潮」に証言している。そうした光景は学会の中ではよく知られていたし、週刊誌などに報じられてきたこともあった。しかし、氷川自身はこれまで公にすることはなかった。 氷川が11月14日に発売された聖教新聞社発行の雑誌「WORLD SEIKYO」VOL.5の巻頭インタビューに登場。「ありのままの私でいる『勇気』」と題されたその記事の中で、大きな悩みや葛藤を抱えた人生の支えとなってきたのは、「創価学会の信仰だった」とはっきり述べているのである。 むろんわが国においては信教の自由も表現の自由も認められている。彼らが救われた体験談を語るのも自由である。とはいえ、それをオープンにするにはそれなりのリスクも想定される。会員以外の人たちの受け止め方はさまざまだからだ。 それでもなおカミングアウトしたのには、彼らなりの熱い思いがあるのは事実だろう。一体いかなる体験がそこまでの熱意を持たせることになったのか? 当人たちの言葉に耳を傾けてみよう。 (以下、「デイリー新潮」2024年8月29日、11月29日配信記事をもとに作成しました。日付や年齢、肩書などは当時のまま)

イ・ジョンホ、8年の空白の理由は…「生まれたばかりの末娘を抱えてすい臓がんと診断され、肝臓にまで転移」

俳優イ・ジョンホ(46)が、がん闘病の末に完治判定を受けたと明かした。 動画共有サイト「ユーチューブ」のチャンネル「近況オリンピック」で3日、「5人中4人は死亡するがんに実際にかかった俳優、誰も知らなかった衝撃の近況」というタイトルの動画が配信された。 動画でイ・ジョンホは、8年前のKBS帯ドラマを最後に演技活動を中断したと明かした。 演技活動を中断した理由については「健康診断を受けたところ、医師が『すい臓の方にがんの大きいのがある』と言うので。本当にわんわん泣いた。そのとき、末娘が生まれてワイフは産後ケア施設にいたけれど、妻も電話で知らせを聞いて泣いていた」と回想した。 当時、すい臓がんのステージ3と診断されたというイ・ジョンホは「医師に生存の可能性について尋ねたら、20-30%ほどだと言っていた」と説明した。 イ・ジョンホは、医師の勧めで手術を受け、「十二指腸とすい臓を半分切った」と語った。また「数カ月間、抗がん剤治療も受けた」と明かした。 退院後は生計のためにドラマ撮影をしたというイ・ジョンホ。「会食前に検査をしたところ、肝臓に転移があると言われた。また病院に入院して、抗がん剤治療を数カ月やった」と明かした。 そうして「奇跡が起きた。4カ月後に見てみると、がんがすぱっとなくなっていた。2年前に完治判定を受けて、一生懸命演技を教えながら過ごしている」と語った。 イ・ジョンホは1992年に映画『我らの歪んだ英雄』でデビューした。ドラマ『君は僕の運命』(2008)、『笑ってトンへ』(2011)、『天まで届け、この想い』(2013)などに出演した。