上沼恵美子、本気で好きになった人がいた ただ「大きな病気にかかって。1年後に…50歳で」

上沼恵美子(69)が2日放送の日本テレビ系特番「上沼×サンドの出すぎた杭は打たれない」に出演。好きだった番組スタッフとのエピソードを語った。 上沼は「スタッフで好きになった人がいて」と切り出し、テレビ朝日系料理番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」のプロデューサーの1人だったことを明かした。本気に好きになり「40…50ぐらいの時かな。本当にちょっときれいになった。その時、私、痩せた」と振り返り、「旦那は聞いてけえへんし」と、その気持ちは秘密だったことを打ち明けた。 そして「もう…好きだった。もう、大好きで。電話でも何回も… 電話して40分くらいしゃべって」と、「今、何をしてるんですか?」とか、聞こえてくるクラシックの話をしたりしていたと明かし、「その間、もう女性ホルモン、わっ…わっ…と、出てくるの分かったもん! すっごいきれいになりましたもん。痩せて。収録に行く度に痩せていってたね」と振り返った。 しかし「ところが…大きな病気にかかって。彼は1年後に死んじゃったんですよ。まぁ…末期だったのかな? その時も電話かかってきて。もう番組離れてらっしゃったんですけど『まだ死なないですけど』ってかかってきて。もう、でも危なかったんでしょうね。『死んじゃダメですよ!』って言ったんですが、それが最後で50歳でした。50歳で逝っちゃいました」と語った。 そしてカメラをじっと見つめ「好きでした…」と話すと、ますだおかだ岡田圭右(56)から「これなんの番組なん?」と、ツッコミが入った。

「問題はあるが彼はレジェンド」…サッカー元日本代表・佐藤寿人がセラピストと「不倫愛」の「その後」

’24年12月21日、エディオンピースウィング広島で「サンフレッチェ広島レジェンドマッチ2024」が行われ、元日本代表の佐藤寿人(42)が出場した。気温11度、小雨の降る酷寒の中、半袖ユニフォーム姿で登場。現役時代と変わらないキレのある動きでファンを沸かせた。 そんな佐藤と年下セラピストとの不倫報道は、ファンに大きな驚きを与えた。’24年5月7日に配信した記事をもとに振り返る。 佐藤の自宅から出てきた二人は、ドラッグストアへ買い物に。店を後にする二人の距離感からは、親密な関係であることが伺える すべての写真(全5枚) 波瑠似の美人 「ね~~。口の周りに何かついてない?」 そんな甘えるような表情の女性につられ、顔を覗き込む一人の男。何もついていなかったのか、二人は見つめ合って笑顔になる。そのまま手をつないで人気のない路地まで歩くと、二人は互いの唇を重ね合わせた──。 ‘24年4月中旬の週末。サラリーマンでゴッタ返す東京・新橋(港区)で”二人だけの世界”に浸っていたのは、サッカー元日本代表の佐藤寿人だ。この日は上下ともに黒で固め、変装用か、サングラスをかけている。 「佐藤は日本代表として活躍した名ストライカー。Jリーグ通算220得点を上げ、歴代最多得点記録を持つレジェンドです。’20年の引退後は解説者として活躍する傍ら、各地でサッカースクールを開催するなど精力的に活動しています。また愛妻家、子煩悩としても知られ、プロデビュー直後に知り合った奥さんと21歳の時に結婚。広島市内に家を持ち、3人の息子にも恵まれました。偉大な父に憧れ、3人ともサッカーの道に進んでいます」(日本サッカー協会関係者) しかし、この日、佐藤の隣にいたのは20年以上にわたり連れ添っている妻ではない。その相手とはいったい誰なのか。 「相手はセラピストとして勤務する30代の一般女性Aさんです。笑顔が可愛らしい女優の波瑠似の美人。実は、Aさんと佐藤は1年にわたり、不倫関係になっているんです」(佐藤の知人) 解説業やテレビ出演など東京での仕事も多い佐藤は、現在、単身赴任中。この日は愛車でAさんの自宅マンションを訪れると、慣れた手つきで駐車場へ車を停め、二人で夜の街に繰り出していた。 夜7時半から新橋のイタリアンで1時間ほど食事を楽しむと、帰り道では冒頭のようにラブラブムードに。サングラスで変装しているとはいえ、大通りでも片時もAさんの手を離さない大胆ぶりだ。路地で1回目のキスをした後、2軒目を探す間もキス。恥ずかしそうに俯(うつむ)くAさんに顎(あご)クイするとまたキス。″路チューのハットトリック″を決めると、結局2軒目には寄ることなく、Aさんのマンションへと入っていった。この日、終電を越えても佐藤が帰宅することはなかった。

奇跡の脱出は衝突18分後ではなく11分後に完了していた…羽田・日航機と海保機衝突事故から1年 間一髪の脱出劇明らかに

羽田空港でおきた航空機事故からきょう2日で1年です。 当初、日航機から乗客乗員が脱出したのは衝突から18分後とされていましたが、約11分後には完了していたことがわかりました。 この事故は2024年の1月2日、羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が滑走路上で衝突し、海保機の乗員5人が死亡し、機長が重傷を負ったものです。 日航機の乗客乗員379人は全員脱出し、無事でした。 日本航空の当初の発表では、全員が脱出したのは、午後5時47分に衝突してから18分後の午後6時5分とされていましたが、国の運輸安全委員会の調べで、機長が最後に脱出したのは午後5時58分で、衝突から約11分後だったことがわかりました。 脱出の際には機内放送が使えず、機長や客室乗務員などが客室内を移動しながらほぼ肉声で、避難誘導にあたったということです。 脱出が完了するのとほぼ同じ時間に衝突で発生した機体の火災が客室に延焼し始めたとみられ、間一髪の脱出劇でした。