KANさんの“最期の言葉” 最愛の妻が明かした「私は私が守っているつもりだったから…」

TBS「まさかの一丁目一番地」(後10・00)が30日に放送され、昨年11月に亡くなったシンガー・ソングライターKANさん(享年61)の“最期の言葉”が明かされた。 同番組はKANさんと25年連れ添った最愛の妻・桜子さん、KANさんを慕う多くの音楽仲間たちの言葉でつなぐドキュメント「KANスペシャルヒューマンストーリー 最後に愛は勝つ」を放送。その放送内でKANさんの最期の言葉が明かされた。 インタビューを受けた妻・桜子さんは目に涙を溜めながら「守れなくてごめんね」と言われたことを告白。この言葉に桜子さんは「私は私が守っているつもりだったから…“何言ってんのよ”って…。それが最後だったかどうかも…覚えてないですけど」と当時のやり取りを振り返った。 そして、桜子さんは「肉体は限界があるので。KANに限らず私たちもみんなそうだけど」としつつ「夢はね、私やみんながいなくなった後もKANの歌が、誰の歌っていうのじゃなくても、歌っててもらえたらいいなって」と、KANさんの歌が永遠に歌い継がれていってほしいと願いを明かした。

お笑いタレント・柳瀬たかおが49歳で急死 死因は「虚血性心疾患」…年明けの配信番組出演も決まっていた中

お笑いタレントの柳瀬たかお(本名・柳瀬暁生、やなせ・たかお)さんが、今月27日に虚血性心疾患のために亡くなっていたことが分かった。31日、所属事務所の吉本興業が発表。柳瀬さんは49歳だった。通夜・告別式はご遺族の意向で、近親者のみにて執り行われた。 柳瀬さんは1975年6月5日、大阪・羽曳野市生まれ。NSC大阪校13期生で、94年、漫才コンビ・騎兵隊としてデビュー。96年には「第17回今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞し、ABCテレビ『クイズ!紳助くん』では,「なにわ突撃隊」メンバーとして番組を盛り上げたほか、映画『岸和田少年愚連隊』にも出演した。 2006年には騎兵隊を解散し、ザ・やなせふなおかを新たに結成。劇場やライブ活動を精力的に行い、11年からはピン芸人の柳瀬たかおとして活動。20年に地元の羽曳野市に「おでん家庭料理 やなせ」を開店するなど、料理人としても活動していた。 年明けには配信番組への出演が決まり、料理の腕を生かした料理系のワークショップの開催にも意欲を見せている中での急死だった。

【人生最後の取材】中山美穂さんが見せた孤独感…子育てのためにパリで引退決意も慰留「当初は会えていた」「離れていった母と子の心」創業事務所社長が明かす数々の恋愛と結婚生活

12月6日に渋谷の自宅マンションの浴槽で亡くなった、歌手で女優の中山美穂さん(享年54)。まだ14歳だった彼女をスカウトし、国民的アイドル「中山美穂」へと育て上げたのが、所属事務所「ビッグアップル」の創業者・山中則男氏だった。NEWSポストセブンの取材に「おそらく私の立場としては、これが人生最後の取材になると思います。美穂を支えて下さった多くのファンの方に忘れてほしくないと思い、お話させていただきます」と語った。【前後編の後編。前編を読む】 「美穂と最後にあったのは1年くらい前です。なかなかタイミングが合わなかったりして、ようやく食事会で久しぶりに会いました。最後の会話はとりとめのない話で『元気か?』『社長も元気?』……そんな感じでした。それでも私は十分だと思っています。 私がガラケーで写真を撮ったら美穂に『まだスマホじゃないの?』ってからかわれましたよ。いつか、天国から電話くれるんじゃないかなと思ってしまいます……」 中山さんが女優デビューを飾ったドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)への出演後、『夏・体験物語』(TBS系) と、不良少女役が続いた。その時、山中氏は将来を見据えて“不良少女役との決別”を早々に決断していた。 「実は映画『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年公開)で、美穂の役は決まっていたんですけど、“そろそろ不良路線から脱皮したいので役を変えて欲しい”と配給元の東映に直談判して役が大幅に変わりました。 音楽もその頃からアイドルっぽい曲から大人を意識した路線に少しず変えていきました。演じることが好きな美穂は台本があると大丈夫なんですけど、台本のないバラエティーやトーク番組は苦手にしていて、いつも苦笑いしてごまかしていましたね。私は好きでしたが、CMのために八重歯を矯正して大手企業のCM契約が次々に決まっていきました」 プライベートではサッカー選手や有名スタイリスト、作曲家など、数々の恋愛が報じられ、恋多き女性だった中山さん。とくに人気絶頂だった9歳年上の田原俊彦(63)との熱愛は、芸能史でも語り継がれる大物カップルだった。しかし、6年後の1992年に破局を迎える。 「破局後も田原さん本人から『美穂と話をさせてもらえないか』と電話があり、未練があるようでした。しかし、グアムで撮影中の美穂に国際電話で用件を伝えると、『もう会うつもりはありません』というのでそのまま伝えて断りました。 デビューして間もない頃は、『男性が近づいてきても、自分が認められるまでは恋愛は我慢だぞ』と注意していました。彼女もそれを守ってくれていましたし、大人になって美穂が男性と付き合っているという話を聞いても、私は止めるようなことはしなかった。恋愛が女優としての中山美穂を大きくしてくれると思っていたのです。キレイになったときに私が『いい恋愛してるな』と美穂に声を掛けると、『わかりますか(笑)』と返してきましたよ。だから長く一線でやれたんじゃないでしょうか」