がんサバイバー・秋野暢子 小倉智昭さんとの最後の対面語る「俺、死んじゃうからさ〜…持って帰ってよ」
〝がんサバイバー〟の女優・秋野暢子(67)が17日、膀胱がんで先週他界した名司会者・小倉智昭さん(享年77)との最後のエピソードを明かした。 秋野はこの日、都内で開催された「ミセス・グローバル・アース」第5回日本大会にスペシャルアンバサダーとして出席。一昨年6月、頸部食道がんなど5つのがんでステージ3と診断され、放射線と抗がん剤治療を昨年4月まで続けた経験を檀上で語り、観客にもアドバイスを送った。 「この病気は今2人に1人がかかると言われています。あまり特殊な病気ではもうなくなりました。風邪を引くようになってしまいます。(中略)がんは災害と同じです。いつどこで誰がなってもおかしくありません。ですからぜひ、がんの防災を…」 囲み取材で明かすには、秋野のがんは寛解(症状や検査異常が消失した状態)、今は半年に1度の検査だけだそう。小倉さんと最後に会ったのは今年9月、1990年代初め大ヒットした「何も言えなくて…夏」で知られるロックバンド・THE JAYWALKのライブ。 その日は、不祥事で2011年に脱退したボーカル・中村耕一(73)を迎えたライブで、秋野によると小倉さんは、中村とJAYWALKをずっと応援していたという。 「現役でバリバリおやりになってる頃と比べると、少し弱ってらっしゃるかな」と思ったそうで、当初は小倉さんは一番後ろの関係者席で座りながらライブを見ていたという。だが、前方のファンたちはオールスタンディングで、小倉さんも途中から立って応援していたそうだ。 「楽屋にみんなで伺った時に、小倉さんがメンバーに『俺、死んじゃうからさ〜。ウチにはいっぱい楽器あるから持って帰ってよ』って冗談めかして…。で、みんなが『そんなこと言わないで、長く生きましょうよ』って言って…」 小倉さんはもちろん、秋野のがん闘病を知っており、あいさつされるや「陽子ちゃん、元気そうでよかったね」と我が事のように喜んだ。「はい、おかげさまで元気です」と答える秋野に「長生きしなきゃね」と小倉さん。「はい、お互いに頑張りましょうね」と返したのが最後の会話で、秋野は「とっても残念でね…」とつぶやいていた。
中森明菜を襲った〝最大の危機〟体調不良で入院・療養 2010年、復帰の目途立たぬ中…ファンに「ベストテンのDVD出ますー」
【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】 デビュー30周年を前にした歌姫・中森明菜をデビュー以来、最大の危機が襲いかかった。 2010年10月28日、明菜が体調不良で東京都内の病院に入院・療養していることが分かった。この時は具体的な病名は明かされていない。しかし、関係者によると命には影響はないものの「深刻な状況」とし「音楽活動への復帰の見通しが立っていない」とした上で、11年1月末に発売予定だった新作のアルバムについては「すべて白紙に戻した」となった。 その後、ファンの間では「年末恒例のディナーショーが中止されるようだ」と大きな話題になった。しかし、関係者によると、ディナーショーについては明菜自身の体調もあって「早い時期から所属事務所とイベント会社の間で話し合われてきた」とも言われていた。 明菜の具体的な病名は明かされなかったが、一部のメディアが「帯状疱疹の悪化」と報じた。芸能関係者によると「過労と疲労からくる免疫低下で、実は年初めから仕事にも支障を来していたようです。どうやら明菜自身も担当医から『我慢も限界に達している。できるだけ安静が必要』と言われてきたようですが、無理に頑張っていたようですね」。 明菜は45歳のこの年、パチンコ業界の大手「大一商会」が発売したパチンコ新機種「CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~」のプロモーションについて「これだけは頑張りたい」と参加していたのだという。 明菜を起用した新機種は4年ぶりだった。しかも今回は、明菜本人をイメージした13種類のアニメキャラクター〝ちび菜〟を登場させ、さらに新機種用にオリジナル曲「CRAZY LOVE」まで制作していた。しかも大一は、新機種の発売に合わせて全国規模のキャンペーンを8月20日から9月30日まで大展開。9月には明菜を起用したテレビCMも大量オンエアした。 明菜自身も途中で投げ出したくはなかったのかもしれない。だが、キャンペーン終了の9月下旬になって容体が悪化、緊急入院したのだ。 この事態に明菜の所属事務所はユニバーサルミュージックと何度も協議を続けた。結果、いったんは容体を見ることにしたが、その後の病状の経過も思わしくなく「急な回復は望めない」と判断、無期限での音楽活動休止を決めた。 今後の活動について明菜自身は明確な意思を示していなかった。しかし「音楽活動への意欲は十分にあった」そうで、関係者は「今は治療に専念させ、復帰は体調を見ながら改めて考えていきたい」とした。復帰に目途が立たない状態で、周囲は「(再来年の)30周年はファンと迎えられるようにしたい」と話すのが精いっぱいだった。 年が明けて11年になっても明菜は入退院を繰り返し復帰の目途が立たない。アルバムは中止になったがデビュー30周年に合わせ、DVDBOX「ザ・ベストテン 中森明菜プレミアムBOX」が2月29日に発売された。約30時間にも及ぶ膨大な放送済VTRから「とにかく見どころ」ばかりを集め12時間45分に編集、5枚組のDVDで発売した。 「ザ・ベストテン」は1978年1月19日から89年9月28日まで放送されたTBSの看板音楽番組だった。この番組において1位獲得曲数は松田聖子の15曲を上回る歴代1位の17曲。しかも1位の獲得週間は69週間で、これも歴代1位だ。「まさに明菜は番組の歴史ともいえる存在だった」とTBS関係者。 このDVDBOXの発売に当たり、明菜は「DVDは可能な限りチェックした」そうで「ちょっと頑張ってみました」と、ファンクラブの会員向けだが「ずっと何もしてあげられないあたしですが…」と前置きした上で「ベストテンのDVDが出ますー。やったね!!! すっごくすっごく嬉しい!!!」と、現在の心情を最大限に表現していた。 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二) ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE―情熱―」などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。
安藤優子氏 プライベートで親交の中山美穂さん訃報に「美しさも抜群ですが人に凄く気を遣われる方でした」
キャスターの安藤優子氏(66)が22日、フジテレビの情報番組「ワイドナショー」(日曜前10・00)にゲスト出演。6日に都内の自宅で死亡しているのが見つかった中山美穂さん(享年54)を追悼した。 結婚に訃報、芸能事務所の相次ぐ倒産など、今年の芸能ニュースを振り返り「小倉さんが亡くなった、それと中山美穂さん…」と語り出した安藤氏。 中山美穂さんとはプライベートでも親交があったと説明。 「物凄く繊細な方。美しさも抜群なんですけど、すっごく人に気を遣われるんですよ。これからもう一回大きな華を咲かせようとしていた矢先だったので、すっごく私もショック…。残念でした」としのんだ。