里見浩太朗 超大物歌手を激怒させた過去「何すんのよ!」 65年前に撮影中止になった思い出

俳優の里見浩太朗(88)が、27日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」(金曜後7・30)に出演。超大物歌手を激怒させたエピソードを語った。 スタジオにて「浩太朗さんは、若い頃ぼーっとしてケガさせちゃったんだって?」と聞かれた里見。「古い話なんですよ」と前置きし、1959年の映画「お染久松そよ風日傘」の撮影現場での思い出を語り始めた。  共演したのは昭和のレジェンド歌手・美空ひばりさん(享年52)。ひばりさんは油屋の娘・お染役。里見は丁稚・久松を演じた。この2人が恋に落ちるというストーリーだが、「ある日“久松行くわよ~”って言って先にお染さんが玄関に出る。その時、玄関に並んでた油つぼにちょっとひっかかるんです。油のつぼがゴトーンってひっくり返る」というシーンがあった。 その後里見は「用意スタート」の合図で廊下へ走ったが、床には本物の油がまかれていたといい「ステーンってひっくり返った。油の上だからずーっと滑って。お嬢さん(ひばりさん)にドーンってぶつかって」と成す術もない状態に。  「ひばりさんひっくり返って“何すんのよ!”って怒ってんですよ」と語り、凄まじい状況のため、その日は撮影中止になってしまったと明かしていた。

「ママ、ろれつが回ってないよ」脳出血で40周年コンサート直前に緊急搬送…歌手・井上あずみが意識を失う前に娘にかけた言葉

ジブリ映画の楽曲『君をのせて』や『となりのトトロ』を歌う歌手・井上あずみさん。昨年8月に開催予定だった自身の40周年コンサートの当日、リハーサル中に脳出血で倒れ、緊急搬送されました。手術、そして過酷なリハビリなど、この1年を振り返ってお話を伺いました。(全4回中の3回) 『君をのせて』を歌うところでろれつが回らず ── 40周年コンサート当日、リハーサル中に脳出血を発症なさったそうですね。当時の状況を教えていただけますか? 井上さん:もともと高血圧で薬を飲んでいたのですが、それを飲むと眠たくなってしまうので「コンサートをシャキッとやりたい!」という気持ちからその日は薬を飲まなかったんです。気持ちが高ぶり、前夜は寝られないままコンサート当日を迎え、午前中にリハーサルしているときに立ったり座ったりするたびにガクッとなって。「なんだかいつもと違うな」と思っていたんですけど、最後に映画『天空の城ラピュタ』のエンディング曲『君をのせて』を歌うところでろれつが回らなくなりました。 同じステージに立つ予定だった娘(歌手の今尾侑夕さん)が「ママ、ろれつが回ってないよ?」と駆け寄ってきて「え?ほんとに?」と言ったところで急にフラっとして、頭が痛くなり…マイクを床に置いて座り込むように倒れました。あるスタッフはフィナーレの演出かと思ったというくらいゆっくり座り込んでマイクを置いたそうです。「高額なマイクを落としちゃいけない!」と、とっさに思ったんでしょうね(笑)。 ── 娘で歌手の今尾侑夕さんがじんそくかつ、的確に現場を仕切ってくれたおかげで病院へスムーズに搬送されたそうですね。 井上さん:そうなんです。といっても私は記憶がないので、娘やマネージャーの夫に聞いた話になるのですが、ちょうど熱中症が多い季節で、119番にかけても救急車がなかなかつかまらない状況だったそう。どうにか電話がつながり、救急車を呼んでくれました。救急車が到着するまで、娘は「何時何分嘔吐」とか全部記録して、救急隊の方に報告したそうなんです。「医療関係者の方ですか?」と言われたくらい、冷静に現場を把握して対応してくれた娘には本当に感謝しています。

スズキ・鈴木修氏が死去 軽自動車の発展やインド市場開拓などに尽力 トヨタ豊田会長から「お悔やみの言葉」も

世界のスズキを作り上げた鈴木修氏死去 94歳 2024年12月27日にスズキは同社の相談役・鈴木修氏が同月25日に死去したことを明らかにしました。 享年94歳でした。 鈴木修氏は1958年にスズキ株式会社の前身となる鈴木自動車工業株式会社に入社。 1978年には同社の取締役社長に就任。1990年には社名を現在のスズキ株式会社に変更しています。 その後、2000年に同社の取締役会長に就任しますが、2008年には再び同社の取締役社長を兼務。 そして2015年に再び取締役会長に就任し、2021年に同社の相談役に就任しました。 約43年にわたりスズキを成長させ率いてきたことから「カリスマ経営者」としても知られています。 こうした経歴を持つ鈴木修氏といえば、社長就任の翌1979年に最初の勝負のクルマかついまでもスズキを代表する「アルト」が登場したエピーソードは有名です。 その他にも現在、スズキの主力市場となるインドを開拓した立役者でもありました。 かねてから親交のあった豊田章男氏(左) /鈴木修氏(右) また同じ自動車業界で鈴木修氏を「憧れのおやじさん」と慕っていたトヨタの豊田章男会長は以下のようにお悔やみの言葉を発表しています。 「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。 鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。 ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。 2016 年の共同記者会見。 修さんは『経営者には“これで一段落”ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。 40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。 厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました。 ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。 『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』 いつの日か修さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために仕事をしてまいります。 私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。 ありがとうございました」 ※ ※ ※…