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日本のスーパーマーケットでクマが従業員を襲い、肉売り場を荒らされる

11月30日、秋田市のスーパーマーケットに入り込み、従業員の男性を襲ったクマは依然として捕獲されていません。クマは店のバックヤードにいるのが確認され、警察などはわなで捕獲を試みることにしています。

秋田市のスーパーにクマ居座る…今も店内に 肉売り場荒らされる | Watch

30日、秋田市土崎港西のスーパーマーケット「いとく土崎みなと店」で、47歳の従業員の男性が店に入り込んだクマに襲われ、頭にけがをしました。

警察や市などが警戒を続けていますが1日以上たった現在も捕獲されていません。

警察によりますと30日、店長が外から店内を確認したところ、店の奥の肉売り場が荒らされていたり、棚が壊されたりしていたということです。

クマを作業場で発見、閉じ込め 肉売り場荒らされる 秋田のスーパー(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

12月1日、警察などがドローンを飛ばして店の売り場を確認した際にはクマの姿は見当たりませんでしたが、その後、午後5時半すぎにバックヤードにいるのを警察官が確認したということです。

警察などは売り場とバックヤードをつなぐ4か所の扉のうち2か所を資機材などで閉鎖し、残りの2か所にわなを設置して捕獲を試みることにしています。

秋田県では11月下旬から学校周辺や市街地などでクマの出没が相次いでいて、県は30日までとしていた「ツキノワグマ出没注意報」を12月末まで延長することを決めています。

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中山美穂さん 12月6日に急逝した中山美穂さん(享年54)はおしいものを食べるのも、お酒を飲むのも好きだった。通っていたお気に入りの店もいくつかあった。パリのケーキ店、東京の焼き肉店、ラーメン店……美穂さんと交流のあったパティシエや店主らが「食」を通して垣間見えた“素顔”を語ってくれた。   美穂さんは女優として活躍していた2002年、芥川賞作家でミュージシャンの辻仁成氏(65)と結婚。芸能活動を休止して、フランス・パリに移住した。そして04年に長男を出産。14年7月に辻氏と離婚するまで、パリに10年以上滞在した。 パリで美穂さんが行きつけだったのは、吉田守秀さん(47)が経営するケーキ店「MORI YOSHIDA」。同店がオープンしたのは2013年だが、吉田さんは美穂さんとの出会いをこう話す。 「出会いは僕がケーキ店をオープンしてすぐの頃です。知人のつながりで、食事会に誘っていただいたのが最初でした」 やがて、美穂さんは「MORI YOSHIDA」にも来るようになった。 「美穂さんは辻さんと夫婦で来たこともありますし、一人で来たこともありました。辻さんといるときは本当に静かでしゃべらない印象でしたが、美穂さん一人で来店すると、すごく明るくしゃべっていましたね」(吉田さん) 美穂さんと吉田さんは次第に打ち解けるようになり、外に少人数で食事に出かけるようにもなった。 「当時、パリに『みほ会』というのがあって、いろんな『みほ』さんが集まって、食事会を開いていました。そこに僕も入れてもらって、料理を手伝ったり、食事をしたりしていました。美穂さんはワイン好きで、特に白ワインが好みでした。3〜4杯飲むとだいぶ出来上がって、それからが長いんです(笑)。みんなで楽しく飲むのが好きで、最初に酔っぱらって、人を楽しませるし、自分も楽しくなっちゃう人。異国暮らしで、いろんなストレスもあったのかもしれません。夜中に帰るときもあったし、朝まで飲んでいるときもありました。家が近所だったので、帰りは辻さんと息子さんが待つ自宅まで送っていく担当でしたね。今思うとかけがえのない時間でした」 お互いを「ヨッシー」「美穂さん」と呼ぶほど仲良くなると、帰り道のパリの夜の街を歩きながら、美穂さんは歌うこともあったという。 「ご自分の持ち歌の中で一番好きな曲は『ただ泣きたくなるの』だと話していました。原曲よりちょっと明るめにアレンジして歌いながら歩く美穂さんの後を、僕がついていくという感じでした」 「MORI YOSHIDA」のオーナーパティシエ・吉田守秀さん(「MORI YOSHIDA」提供) ■「ヨッシーのケーキだと食べられちゃう」 美穂さんの自宅に着くと、辻さんが迎えてくれ、「せっかく来たんだから飲んでいって」と自宅に上げてもらったこともあったという。 「辻さんと美穂さんと3人で飲んだこともありましたね。最初のご自宅は現代建築の部屋だったんですけど、引っ越した後の家はオスマン調の昔ながらの天井の高いところでした。広すぎて寒いくらいでした」 美穂さんはパリでの生活を楽しんでいたようだ。 「ダンスを習っていると聞いたことがあります。ラテンぽいダンスで、飲みに行くと軽やかに踊っていました。『一緒に踊ろうよ』と誘われたこともありますが、僕は『パティシエは踊らないんですよ』と言って断っていました」  美穂さんとさまざまな話をするなかで、吉田さんには忘れられない言葉があるという。 「僕がわりとストイックにお菓子作りに熱中していて、パティシエ論?みたいな話になった時に、美穂さんがこう言ったことがありました。『ヨッシーみたいにお菓子一本でやってきた人もいるし、お菓子を楽しく作る生活の一部として、パティシエをしている人もいる。どちらも正解なんじゃないかな。パティシエにもいろんなタイプがいて、自分と違うタイプを否定するのは違うと思う。才能がある人もいるし、そうでもない人もいる。いろんな人がいていいんじゃないの』。この言葉に美穂さんの人柄があらわれているような気がして、今となっては余計に思い出してしまいます」 美穂さんは同店のイチゴショートケーキが好きで、それをほおばりながら「ヨッシーのケーキだと食べられちゃうんだよね。なんだか落ち着くわ」と語っていたという。 「MORI YOSHIDA」中野店のケーキ(撮影/上田耕司) 辻氏との離婚後、美穂さんは再び東京で暮らし始めた。歌手としてステージに立ち、女優としても復活を目指していた。 3〜4年前から通っていたのが、渋谷区・笹塚にある焼き肉店「にくる」だ。店長の伊藤信太郎さん(44)によると、美穂さんは「3カ月に1回のペース」で同店を訪れていたという。最初は妹の忍さんが月に3〜4回通っていて、そのうち、自然と姉の美穂さんを連れてくるようになったという。…

「新情報×新事実 世田谷一家殺害事件 解決への鍵」予告

12月29日 午後4時~ フジテレビ 新証言×新たな資料で迫る「世田谷一家殺害事件」 ▲未公開写真や新たな証言から現場の謎を完全検証 ▲DNAデータベースが24年目に解き明かした新たな犯人像 ▲この事件での活用が期待される「ゲノム・モンタージュ」の最前線を取材 2000年12月31日、20世紀最後の大晦日の朝、東京・世田谷区の住宅で何者かが夫婦と幼い子供2人を襲った「世田谷一家殺害事件」。犯人は一家4人を惨殺した上、長時間現場に居座り、衣類や血液など多数の遺留品を残して逃走した。そのずさんな犯行から犯人がすぐに特定できると期待されたが、捜査は難航を極め、今年で24年が経過することになった。番組では、この事件の始まりに立ち戻り、事件がどのように明らかになり、当初どんな捜査が行われたのか、現場はどんな状況だったのか、未公開の現場写真などから新たに検証する。また、捜査当局が極秘裏に行ってきた犯人の血液の「DNAデータベース」による解析を継続取材し、犯人のルーツについて新たな可能性を指摘するほか、警視庁が有力視するある不審人物の目撃者のインタビューにはじめて成功し、24年目の新たな犯人像を明らかにする。さらに、犯人のDNA検体を使って顔の特徴を予測する「ゲノム・モンタージュ」の最前線を取材。この手法の導入を訴える犯罪被害者遺族らの切実な思いも取材する。

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