Japan News

“トランプ関税” 日本の自動車メーカーへの影響懸念

アメリカのトランプ次期大統領がメキシコやカナダからのすべての製品に25%の関税を課す意向を示したことで、両国をアメリカ市場向けの重要な生産拠点と位置づける日本の自動車メーカーへの影響が懸念されています。

トランプ関税” 日本の自動車メーカーへの影響懸念 | NHK | 自動車

このうち、カナダにはトヨタ自動車とホンダの工場があります。

JETRO=日本貿易振興機構によりますと、トヨタは現地で生産台数が最も多いメーカーで、去年は52万台余りを生産しています。

一方、現地での販売は22万台余りで、台数は公表していませんが、アメリカにも輸出しています。

また、ホンダは去年、2番目に多い37万台余りを生産していて、アメリカには77%にあたるおよそ29万台を輸出しています。

トランプ氏のディール始動 追加関税で影響必至、身構える日本企業 | 毎日新聞欧米自動車メーカー格下げも、トランプ関税発動なら17%減益=S&P | ロイター
前のトランプ政権のもとで4年前に発効した「USMCA」=「アメリカ・メキシコ・カナダ協定」では、関税がゼロになる条件として、部品の域内調達の拡大や、時給が16ドル以上の工場で生産することが求められ、各社は対応を迫られました。

トランプ次期大統領が実際に関税を25%に引き上げた場合、各社の生産や販売の戦略に影響を与えそうです。

さらにバイデン政権が打ち出したEVなどの税制優遇措置、インフレ抑制法がトランプ政権のもとで継続されるかどうかも焦点です。

インフレ抑制法では北米で製造された電池用の部品を使って、最終的に北米で組み立てられたEVなどを対象に税制が優遇されます。

こうした中、ホンダはカナダにEVと電池の工場を新たに建設し、2028年に稼働する予定で、電池の部材についても旭化成などと合弁で現地に工場を建設して生産します。

旭化成の工藤幸四郎社長はことし4月の会見で、インフレ抑制法について「投資判断の後押しとなった」と述べていて、税制上の優遇がなくなれば、EVの販売戦略などに影響を与えそうです。

日系企業への影響は

外務省の去年10月時点の調査によると、カナダには、日系企業の支店や現地法人などの拠点が、982あります。

特に自動車メーカーの存在感が大きく、JETRO=日本貿易振興機構がまとめたレポートによると、カナダ国内に工場を構えている「トヨタ自動車」と「ホンダ」の2社の去年1年間の生産台数は、カナダ全体の生産台数の6割近くにあたります。

こうした日系企業はカナダ国内のほか、アメリカにも製品を輸出していて、JETROの去年の調査によると、製造業では、アメリカ向けの販売比率が3割を超えています。

日系企業がアメリカ向けの製品の生産拠点をカナダに置く背景には、アメリカへ輸出する際、一定の条件を満たせばこれまでは関税がかからなかったほか、EVのバッテリーに使われるリチウムや黒鉛といった鉱物資源が豊富なことなどがあるとみられています。

日系企業の進出の動きを日本・カナダ両国の政府も後押ししていて、去年9月には、日本企業がカナダにバッテリーの生産工場を建設する際に支援することなどを盛り込んだ覚書を両国政府の間で結んでいます。

アメリカのトランプ次期大統領がカナダに25%の関税を課す考えを示す中、日系企業のカナダへの進出にどのような影響が出るか、注目されます。

Related Posts

元宝塚・愛花ちさき結婚発表「今後は関西在住となります」夏夕介さんと伊藤めぐみさん長女

元宝塚歌劇団宙組の俳優愛花ちさき(38)が27日、X(旧ツイッター)で結婚を発表した。「私事ではございますが、この度結婚しました事をご報告いたします。また、結婚に伴い今後は関西在住となりますが東京でのお仕事もご縁を大切に自分のペースで続けていく所存でございます」と、関西に拠点を移すことも併せて発表した。 愛花は、俳優の夏夕介さんと元俳優伊藤めぐみさんの長女で、03年に宝塚歌劇団に89期生として入団。14年7月に「ベルサイユのばら」で東京公演をもって退団。俳優のほか振付師、クラージュキッズ演技講師も務めている。 結婚指輪を着けた写真も公開し「急なご報告となりましたが、いつの日も思いやりを忘れずに幸せな家庭を築いていきたいと思いますのでどうぞ温かい目で見守っていただけると幸いです」とつづった。夏夕介さんと元俳優伊藤めぐみさんの長女で、03年に宝塚歌劇団に89期生として入団。14年7月に「ベルサイユのばら」で東京公演をもって退団。俳優のほか振付師、クラージュキッズ演技講師も務めている。 結婚指輪を着けた写真も公開し「急なご報告となりましたが、いつの日も思いやりを忘れずに幸せな家庭を築いていきたいと思いますのでどうぞ温かい目で見守っていただけると幸いです」とつづった。

夫・源田壮亮は家に戻らず… 衛藤美彩が不倫ショック! 大病患いワンオペ育児

元乃木坂46・衛藤美彩(31)に周囲から心配する声が上がっている。 25日に文春オンラインで、夫である西武・源田壮亮内野手(31)の不倫が報じられた。銀座のクラブで働く20代女性と1年近く交際し、11月の国際大会「プレミア12」での台湾遠征中にも密会するなど逢瀬を重ねていたという。源田は文春の直撃に不倫関係を認めている。 衛藤は2019年10月に源田と結婚。不妊治療を経て22年1月に第1子となる長男を出産、昨年12月には妊娠中に2度の切迫流産を乗り越え、第2子長女を出産した。22年10月には育児業界に影響を与えた人物を表彰する「ペアレンティングアワード」を夫妻で受賞していた。 球団側は「家庭内の問題」として、処分などをしないとしているが、妻・衛藤は大きなショックを受けているという。 「(衛藤)美彩ちゃんはそれまで仲良くやっていた夫と、連絡が取れなくなってぼうぜん自失としています。今も源田さんは美彩ちゃんと2人の子供を置いて、家にも帰っていないらしいです」(衛藤に近い女性スタッフ) さらに、衛藤は第2子の妊娠中だけでなく、出産後も〝苦難〟に見舞われていた。 「実は…公にはしていませんが、美彩ちゃんは第2子を出産後、大病を患ったことがあるんです。体調が優れない日が多い中で、年子の子供たちをワンオペで育てていた。ギリギリの状態で踏ん張っているようでした。そんな状況で、源田さんが1年近く前から不倫関係にあったなんて…本当に信じられません」(同) ワンオペ子育てで精神的、肉体的に追い込まれていた衛藤に降りかかった夫の裏切り…。周囲は心が折れないか、気が気でないという。

中居正広 収録中止の『金スマ』に続き新番組『THE MC3』も放送中止へ!スタッフは「このまま番組がなくなってしまうのでは」

「中居正広さん、東野幸治さん、ヒロミさんの3人が司会を務めている『THE MC3』(TBS系)ですが、年明けの1月13日に予定されていた回が放送中止になることがスタッフたちに通達されたそうです」(TBS関係者) 国民的大スターである中居正広(52)の“まさかのスキャンダル”は波紋を広げ続けている。 発端は12月19日発売の「女性セブン」によるスクープ。記事によると、昨年に当初3人で行われるはずだった会食があったが、急遽中居と女性の2人だけに。その後、密室で2人の間に重大なトラブルが発生。後日、代理人を介した話し合いの場が持たれ、中居から約9000万円の解決金が支払われたという。 中居の代理人弁護士は同誌の取材に対して、「本件については、以前に双方の話し合いにより、解決しておりますことをご理解ください」と回答しており、トラブルがあったことや示談金を支払ったことを否定していない。 12月26日には同じくTBS系の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』の収録が予定されていたが、前日の25日に中止されたと報じられている。 前出のTBS関係者が続ける。 「『THE MC3』の放送中止についての通達があったのも12月25日で、文春オンラインが中居さんの女性トラブルについて報じた日でした。現場では『記事を確認したうえで中止を判断したのだろう』と、ささやかれています。 1月13日放送分はすでに収録を終えており、スタッフたちも動揺しています。放送中止の理由についての説明は特になかったそうです。1月13日の放送だけではなく、『このまま番組がなくなってしまうのではないか』と、スタッフたちは戦々恐々としています」 12月27日、本誌はTBSテレビ広報室に、『THE MC3』の放送中止の理由と番組終了の可能性について質問状をおくったが、年末ということもあったのか、要望した時間までは回答を得られなかった。 「9000万円という解決金は世間を驚かせましたが、逆に『そこまでのことをしてしまったのか』という印象を広げ、延焼を防ぐにはいたっていないようです。 スポンサーや視聴者の反応によっては、今後、TBSが中居さんを起用しない方向に舵を切る可能性もあります」(前出・TBS関係者) 激震は年明けまで続くのか? 関係者たちは注視し続けている。

里見浩太朗 超大物歌手を激怒させた過去「何すんのよ!」 65年前に撮影中止になった思い出

俳優の里見浩太朗(88)が、27日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」(金曜後7・30)に出演。超大物歌手を激怒させたエピソードを語った。 スタジオにて「浩太朗さんは、若い頃ぼーっとしてケガさせちゃったんだって?」と聞かれた里見。「古い話なんですよ」と前置きし、1959年の映画「お染久松そよ風日傘」の撮影現場での思い出を語り始めた。  共演したのは昭和のレジェンド歌手・美空ひばりさん(享年52)。ひばりさんは油屋の娘・お染役。里見は丁稚・久松を演じた。この2人が恋に落ちるというストーリーだが、「ある日“久松行くわよ~”って言って先にお染さんが玄関に出る。その時、玄関に並んでた油つぼにちょっとひっかかるんです。油のつぼがゴトーンってひっくり返る」というシーンがあった。 その後里見は「用意スタート」の合図で廊下へ走ったが、床には本物の油がまかれていたといい「ステーンってひっくり返った。油の上だからずーっと滑って。お嬢さん(ひばりさん)にドーンってぶつかって」と成す術もない状態に。  「ひばりさんひっくり返って“何すんのよ!”って怒ってんですよ」と語り、凄まじい状況のため、その日は撮影中止になってしまったと明かしていた。

「ママ、ろれつが回ってないよ」脳出血で40周年コンサート直前に緊急搬送…歌手・井上あずみが意識を失う前に娘にかけた言葉

ジブリ映画の楽曲『君をのせて』や『となりのトトロ』を歌う歌手・井上あずみさん。昨年8月に開催予定だった自身の40周年コンサートの当日、リハーサル中に脳出血で倒れ、緊急搬送されました。手術、そして過酷なリハビリなど、この1年を振り返ってお話を伺いました。(全4回中の3回) 『君をのせて』を歌うところでろれつが回らず ── 40周年コンサート当日、リハーサル中に脳出血を発症なさったそうですね。当時の状況を教えていただけますか? 井上さん:もともと高血圧で薬を飲んでいたのですが、それを飲むと眠たくなってしまうので「コンサートをシャキッとやりたい!」という気持ちからその日は薬を飲まなかったんです。気持ちが高ぶり、前夜は寝られないままコンサート当日を迎え、午前中にリハーサルしているときに立ったり座ったりするたびにガクッとなって。「なんだかいつもと違うな」と思っていたんですけど、最後に映画『天空の城ラピュタ』のエンディング曲『君をのせて』を歌うところでろれつが回らなくなりました。 同じステージに立つ予定だった娘(歌手の今尾侑夕さん)が「ママ、ろれつが回ってないよ?」と駆け寄ってきて「え?ほんとに?」と言ったところで急にフラっとして、頭が痛くなり…マイクを床に置いて座り込むように倒れました。あるスタッフはフィナーレの演出かと思ったというくらいゆっくり座り込んでマイクを置いたそうです。「高額なマイクを落としちゃいけない!」と、とっさに思ったんでしょうね(笑)。 ── 娘で歌手の今尾侑夕さんがじんそくかつ、的確に現場を仕切ってくれたおかげで病院へスムーズに搬送されたそうですね。 井上さん:そうなんです。といっても私は記憶がないので、娘やマネージャーの夫に聞いた話になるのですが、ちょうど熱中症が多い季節で、119番にかけても救急車がなかなかつかまらない状況だったそう。どうにか電話がつながり、救急車を呼んでくれました。救急車が到着するまで、娘は「何時何分嘔吐」とか全部記録して、救急隊の方に報告したそうなんです。「医療関係者の方ですか?」と言われたくらい、冷静に現場を把握して対応してくれた娘には本当に感謝しています。

スズキ・鈴木修氏が死去 軽自動車の発展やインド市場開拓などに尽力 トヨタ豊田会長から「お悔やみの言葉」も

世界のスズキを作り上げた鈴木修氏死去 94歳 2024年12月27日にスズキは同社の相談役・鈴木修氏が同月25日に死去したことを明らかにしました。 享年94歳でした。 鈴木修氏は1958年にスズキ株式会社の前身となる鈴木自動車工業株式会社に入社。 1978年には同社の取締役社長に就任。1990年には社名を現在のスズキ株式会社に変更しています。 その後、2000年に同社の取締役会長に就任しますが、2008年には再び同社の取締役社長を兼務。 そして2015年に再び取締役会長に就任し、2021年に同社の相談役に就任しました。 約43年にわたりスズキを成長させ率いてきたことから「カリスマ経営者」としても知られています。 こうした経歴を持つ鈴木修氏といえば、社長就任の翌1979年に最初の勝負のクルマかついまでもスズキを代表する「アルト」が登場したエピーソードは有名です。 その他にも現在、スズキの主力市場となるインドを開拓した立役者でもありました。 かねてから親交のあった豊田章男氏(左) /鈴木修氏(右) また同じ自動車業界で鈴木修氏を「憧れのおやじさん」と慕っていたトヨタの豊田章男会長は以下のようにお悔やみの言葉を発表しています。 「ご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申しあげます。 鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば、日本の軽自動車を発展させ、国民車にまで育て上げられた憧れのおやじさんでした。 ここからは、親しみを込めて、修さんと呼ばせていただきます。 2016 年の共同記者会見。 修さんは『経営者には“これで一段落”ということはない。経営者である以上、チャレンジすること、社会のために経営をするということは、いつまでたっても変わらない』ときっぱりお答えになりました。 40年近く、スズキのトップを務められ、軽自動車という日本独自のクルマ文化を守ってこられた経営者としての覚悟。 厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました。 ご退任を発表されたときの言葉は今も私の心に残っております。 『生きがいは仕事です。挑戦し続けることは人生ということでもありますから、皆さんも仕事をし続けてください。バイバイ』 いつの日か修さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために仕事をしてまいります。 私の憧れの経営者であり、憧れのおやじさん。 ありがとうございました」 ※ ※ ※…

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *