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女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」

女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」

身近な存在であり、同じ女性だからこそ、母親の存在は強く、影響されやすい。

女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」(FNNプライムオンライン)  - Yahoo!ニュース

作家・下重暁子さんは、女優・秋吉久美子さんが尊敬する母親を“家庭内キャリアウーマン”と表現する。秋吉さんが幼少期の頃、交友関係に口を出さず、いつも相手をリスペクトしていた母。そして、夫がアポなしの来客を連れてきてもテキパキと応対した。

“暁子命”だったという下重さんの母親。しかし、高校の同級生で下重さんが一方的に好意を持っていたという金髪のクラスメイトに対して、ネガティブな発言をしていたことを聞いた下重さんは、憤慨したと振り返る。

2人が母親から受け継いだものは何なのか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんによる特別対談『母を葬る』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。

母から受け継いだもの
下重:
そういえば秋吉さん、この対談で初めにご挨拶した時に、私のことを「下重先生」なんて呼ぶものだから、仰天しましたよ(笑)。慌ててやめていただいたけど、あれはいったいどうしたの?

秋吉:
これは私なりの仁義の一つなんです。年上の女性に対しては、とりわけ尊敬の念をもって接するように心がけている。自分よりも多くの年月を生きている人には敬意を払ってしかるべきだと考えていますから。

下重:
そういう思いが込められていたということね。それは、相手が身内であっても変わらない?

秋吉:
そうなんです。母のことは好きだったし尊敬もしていた。相手へのリスペクトをもって接するという心の持ちかたは、後に社会へ出てからも私を支えてくれました。

下重:
そうでしょうね。

秋吉:
私が小学生の頃、非常に貧しいおうちの友達がいたんです。同級生の女の子でした。私は何も気にしない性質(たち)ですが、母も「遊んじゃだめ」なんて一言もいいません。穏やかな優しい子で、おはじきを教えてもらったりした。夢中になるとお互いの頭がくっつきあって、それでどうやら、私の髪にシラミが湧いちゃったんです。

下重:
その子の髪から、秋吉さんの髪にシラミが移ってきちゃった?

秋吉:
おそらく。それを見つけた母は、「あらあら、シラミがついてきちゃったわね」というと、丁寧に櫛ですいて、親指の爪で一つひとつプチンとつぶした。

下重:
素敵なお母さま。

秋吉:
やがてその女の子は別の地域の市営住宅へ引っ越していきました。それっきり、一緒に遊ぶどころか顔を合わせることもなくなった。それが、小学校も中学校も卒業した頃、母が街でその子とばったり再会したというんです。

彼女は中学を出てお勤めしていたらしくて、母は「今も笑顔がかわいかったわよ」っていうんですよ。大げさに思われるかもしれないけど、あの時、母の顔がマリア様のようにみえた。

下重:
大げさだなんて思いません、そんなお母さまをもって誇らしいわね。

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「永遠に忘れないよ」中山美穂さん FC閉鎖発表もインスタ“最後の投稿”に寄せられ続ける慟哭の声…コメントは1万件超え

12月6日に突然この世を去った中山美穂さん(享年54歳)。訃報から2週間あまりが経過したが、いまも深い悲しみに包まれている。 「所属事務所によれば、死因は入浴中に起きた不慮の事故だったとのことです。12日に家族と事務所関係者のみで葬儀が執り行われ、妹の忍さん(51)は発表した声明のなかで、美穂さんの長男も参列していたことを明かしていました。美穂さんは’14年7月に作家の辻仁成さん(65)と離婚してから、約10年間にわたって愛息と会っていなかったといいます。彼女は生前、“子供に会いたい”と望んでいましたが、まさかこのような形で再会を果たすとは誰しも想像していませんでした……」(芸能プロダクション関係者) そんななか20日には、中山さんのオフィシャルファンクラブ「Langue de Chat」が、’25年3月31日をもってサービス終了することが発表された。公式サイトでは《これまで当ファンクラブを通じ、中山美穂を応援してくださった皆さまとの温かな繋がりは、運営チーム一同の大切な宝物でございます。残りの期間、そしてその後も『Langue de Chat』が皆さまにとって色褪せない思い出となりますことを心より願っております》と、ファンに向けた感謝の気持ちがつづられていた。 いまも中山さんの死を受け入れられないファンも多いなか、“集いの場所”となっているのは中山さんのインスタグラムだ。 中山さんが生前最後に、インスタグラムを更新したのは亡くなる前日の12月5日だった。東京・六本木にある「森美術館」で開催中の展覧会『ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ』を、鑑賞したことを報告していた。 ポストには現在までに1万件ものメッセージが寄せられており、コメント欄では次のような偲ぶ言葉が並んでいる(12月24日18時現在)。 《まだ信じられない、居ないなんて。美穂が大好き、これからもずっと。ミポリン、皆んなが愛してるよ ありがとうございました》 《大好きだよ。たまらないよ。あなたの事は永遠に忘れないよ!》 《さみしいよ。会いたいよ。ショックすぎる。美穂ちゃんは私の青春でした ずっと忘れない。美穂ちゃんありがとう》 「すでに“いいね”の数も6.5万件にのぼっており、こうしたメッセージの他にファン同士でコメントし合う交流も見受けられました。訃報が入った直後は1,400件ほどの書き込みが寄せられていましたが、日に日に増え続けているのです。ファンクラブの閉鎖が発表されただけに、中山さんのインスタグラムアカウントを“残してほしい”と願っているファンも少なくありません。今後どのように取り扱われるかはわかりませんが、アカウントが残された場合は、ファンが中山さんと繋がることができる場所として大切にされていくことでしょう」(WEBメディア記者) 多くの人々に愛された中山さん。その輝きは永遠だろう――。

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