中山美穂さん死去 80年代を席巻 数々の“異名”が物語る功績「アイドル四天王」「ブラウン管の女王」

女優で歌手の中山美穂さんが都内で死去していたことが6日、わかった。54歳。85年代のデビューから一気にスターダムを駆け上がり、出演する番組が次々と大ヒットした中山さん。女優業全盛期に歌手としても「日本レコード大賞最優秀新人賞」受賞、7度のNHK紅白歌合戦出場を果たすなど異例の活躍を見せ、「アイドル四天王」「ブラウン管のクイーン」などと多数の異名を持ち、現在まで長きに渡り芸能界で数多くの功績を残した。  1985年、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」のツッパリ少女・のどか役でデビュー。その鮮烈な内容が話題を集め、知名度を一気に高めた。同年6月にシングル曲「C」でデビュー後、瞬く間にトップアイドルとなり、一時代を築いた。以後も主演ドラマの主題歌を自ら歌ってヒットさせ、女優と歌手を完全な両輪とするアイドルの先駆者となった。  87年、中山さん主演のTBS系ドラマ「ママはアイドル」は、最高視聴率28・6%を記録。番組主題歌の「派手!!!」も大ヒットし、愛称「ミポリン」が定着した。出演する番組はいずれも大ヒットし、「ブラウン管のクイーン」とも称された。  さらにアイドルとしての活躍から、工藤静香・南野陽子・浅香唯と合わせて「女性アイドル四天王」とも。「花の85年組」など、数多くの異名がその活躍を物語っている。  今年はデビュー40周年のメモリアルイヤーを翌年に控え、「金髪」に大胆イメージチェンジを図るなど、話題を集めていたばかり。全国ツアーも大盛況だった。  訃報が伝えられたこの日は、開催を予定していた「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」大阪公演を中止すると公式サイトで発表していた。

中山美穂さんと離婚した元夫・辻仁成氏「家庭に女優を持ち込むな」パリ夫婦生活での違和感と、美穂さんが描いた“老後”

《不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。そして息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ》 中山美穂さんの急逝が発表された12月6日、自身の公式ブログで心境を綴った作家でミュージシャンの辻仁成氏。 8日にもWebマガジン『DesignStories』を更新し、これまで365日休まなかった日記を書けなかったこと、あらためて元妻に“祈り”を捧げていたこと、そして2025年1月で20歳になる長男の様子を明かしたのだ。 2002年に辻氏と結婚した中山さんは、翌年にフランス・パリに移住して芸能活動を一時休止。2004年に長男を授かると育児に専念するも、2年後には仕事復帰してパリと東京を往復する生活を始める。 そんなすれ違い生活の影響もあってか、2014年7月に離婚が成立すると『美ST』(2014年10月号、光文社)にて、その理由を《好きな人に出会った》と告白。一部で不倫も報じられた音楽家との交際もオープンにするのだった。 「すっかり“恋愛体質”“自由奔放”など負のイメージが付きまとい、辻さんに親権を譲ったことでさらなる批判に晒された美穂ちゃん。でも1985年のデビュー以降、ずっと芸能界の一線で活躍してきた彼女だけに、突如として家庭を守る生活、それも異国の地での生活にストレスを感じた面はあったと思います」 ちゃんと演技のできる役者だったんだな 中山さんを見守ってきたというベテラン芸能リポーターが擁護するように、彼女にも言い分があったのかもしれない。辻氏とのパリでの夫婦生活はどんなものだったのか、2010年当時、中山さんが連載を持っていた『LEE』(6月号、集英社)で夫婦揃ってのインタビューに応じていた。 中でも気になったのが、夫による妻への“評価”ともとれる発言ーー。 《この人は、息子のお母さんであるだけじゃなく、ちゃんと演技のできる役者だったんだなって。》 《結婚した時、しばらくは家庭の中に女優の中山美穂を持ち込むのはよくないだろうと思っていたんです。》 中山さんの代表作、映画『Love Letter』や『東京日和』を観ていないという辻氏。結婚当初は女優・中山美穂として接することに抵抗があり、数年経ってようやく妻の、長男の母親の演技を観て感動したようだ。 さらには、こんな夫婦のやりとりも“暴露”する辻氏。 《しばらく家を空けて戻ると、この人、犬が待っているみたいに、すごい喜んで迎えてくれ

中山美穂さん バーで持ち歌ノリノリ披露など…気取らない素顔の裏にあった「ファンファーストの教え」

歌手で女優の中山美穂さんが12月6日、急逝した。54歳だった。 この日、大阪で開催予定だった『Miho Nakayama Christmas Concert 2024 ㏌ Billboard Live』に出演するため、午前9時ごろに品川駅で関係者と待ち合わせていたが、中山さんは一向に現れず…… 不審に思い自宅を訪れたところ、浴槽内で顔をお湯につけた状態で座る中山さんの姿を発見。その後、駆けつけた医師により死亡が確認された。 8日には当局による検視が行われ、事件性はなく 《死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものと判明いたしました》(公式サイト) と報告された。 ◆睡眠1~2時間もザラ 何の前触れもない悲報に多くの人がショックを受けた。亡くなる5日前の1日に行ったコンサートでは、ステージ上からファンへ 「一生歌い続けていきたい」 と決意を新たにしていたからだ。 中山さんは1985年にテレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)に出演し、デビュー。“ミポリン”の愛称で親しまれ、1992年の『世界中の誰よりきっと』や、1994年のバラード『ただ泣きたくなるの』でミリオンセールスを記録した。 「当時は今ほど法整備がなされていなかったので、売れっ子は殺人的なスケジュールでした。睡眠1~2時間もザラ。そんななかでも彼女は大病もせず、仕事にまい進していた。同世代のアイドルの中では一番丈夫だったと思う」(音楽関係者) お酒が大好きで、人と飲み歩くことも多かった。 芸能人ならではの高級店に行くこともあるが、自宅周辺のバーや飲食店でも中山さんの目撃談は聞かれた。そして皆が口々に言うのはいい意味で「普通の人」だったこと。 個室ではない衆人環境でも気にせず、他のお客さんから 「ミポリンだ!」 と言われても笑顔。ノリノリで会話を交わしたり、カラオケで持ち曲を堂々と熱唱することもあったという。 「本当に飾らない人。お酒が入ってくると、いい意味でクダを巻いてきて、さらに饒舌になる。『だ~か~ら~』とオッサンのように飲むこともある。誰からも愛される人だった」(芸能プロ関係者) この辺りは同世代のアイドル・小泉今日子とも通ずる部分がある。前出の音楽関係者いわく 「いまのアイドルは仕事とプライベートを区別していますが、ひと昔のアイドルはファンの熱もすごく、一体感があった。“ファンあっての自分”という考えが染みついていたのだと思う」 と語る。…