「美穂さん まずは、、、」中山美穂さんの交際相手が追悼「これでもかってくらい濃い、夢みたいな…」

54歳の若さで死去した女優で歌手の中山美穂さんの交際相手で、ベーシスト永田雄樹(45)が12日、自身のXを更新。中山さんへの追悼メッセージを投稿した。 中山さんは02年に作家の辻仁成氏と結婚し、1児をもうけたが14年に離婚。その後、バンドメンバーで、クラブジャズバンド「JABBERLOOP」のベーシストでもある永田さんと交際していた。 永田は「美穂さん まずは、、、本当にありがとうございました。2022年の音楽活動の再開以来、バンドマスターとしてチームに関わらせていただきました。沢山の素晴らしい景色を見せていただきました」と感謝。 「思っていたより随分早く止まってしまいましたが、、中山美穂の音楽に触れ、共に奏でられた事はこの先もずっと音楽家としての誇りです。これでもかってくらい濃い、夢みたいな音楽体験でした。本当にありがとうございました。ゆっくり休んでください」としのんだ。 「美穂さん、『ステージは続いてく』ですよ。今もきっと歌っている事と思います。永田雄樹」と結んだ。 中山さんは6日に都内の自宅の浴室で死亡しているのが見つかり、解剖の結果、死因は「入浴中に起きた不慮の事故」と発表されていた。6日は大阪公演のため、新幹線で移動する予定だったが、午前9時の待ち合わせ場所に現れず、不審に思った事務所関係者が自宅を訪れ、浴槽で亡くなっていたのを発見した。12日に家族葬が営まれた。  

中山美穂さん長男 10年ぶりの再会は自宅 パリから駆け付け…葬儀には参列せず 妹・忍「2人の姿は…」

都内の自宅の浴室で6日に死亡しているのが見つかった女優で歌手の中山美穂さん(享年54)の家族葬が12日、営まれた。 スポニチアネックスの取材では、訃報を受け、長男がパリから駆け付け、美穂さんの自宅を訪れていた。10年ぶりの再会。12日の葬儀には参列していないが、自宅でゆっくりと親子の時間を過ごした。 この日、コメントを発表した忍は「何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした」と記した。 美穂さんは作家・辻仁成と2002年に結婚し、パリへ移住。04年に長男が誕生。だが、14年に離婚。親権は辻が持ち、美穂さんは離婚後、10年間、長男と再会する機会が持てなかった。  

中山忍「最後のステージのようでした」実姉・美穂さんの葬儀を報告 遺影はお気に入りのドレス姿

女優の中山忍が12日、54歳で亡くなった歌手で女優の実姉・中山美穂さんの葬儀が終わったことを報告した。美穂さんのオフィシャルサイトで公表された。 オフィシャルサイトでは「中山美穂の旅立ちをご報告」と題して、「本日、青空が広がる清々しい天候の中、中山美穂の火葬を無事に終えました」と報告。葬儀は家族と事務所関係者のみで執り行われ、「穏やかな雰囲気の中、故人を見送ることができましたのも、報道関係者の皆さまやファンの皆さまがご配慮くださり、静かに見守っていただいたおかげです。心より感謝申し上げます」と感謝が記された。また、美穂さんのお別れの会については詳細が決まり次第、改めて案内すると発表された。 また喪主の中山忍からのコメントも公開。美穂さんの姿を「最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。」と見送ったことを記した。また、「何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。」と美穂さんが愛息と再開できていたことも明かした。 また「静かに見守ってくださったマスコミ関係者の皆さま、ご配慮いただき本当にありがとうございました。」と感謝の言葉を述べた忍。自身の今後については「私にとって姉は『大好きなお姉ちゃん』であるとともに『みなさんの中山美穂』であり、『永遠のシャイニングスター』です。これからは皆さまが姉を思い出してくださる時、そのきっかけのひとつとなれますよう、その思い出があたたかなものでありますように、私も俳優として、より精進して参ります。見守ってくださいましたら幸いです」と記した。 以下は中山忍のコメント全文。 ☆       ☆       ☆ 「姉を愛してくださったすべての皆様へ」 おかげさまをもちまして、姉「中山美穂」の葬儀が滞りなく執り行われたことをご報告申し上げます。 親族の希望で家族葬とさせていただきました。 最近での、一番のお気に入りだったドレスを纏い、楽しそうに歌う姉の写真を中央に、好きだった色取り豊かな花々で飾っていただいた祭壇は、華やかでキラキラしていて、最後のステージのようでした。 お別れまでのほんの数日間ではありましたが、子供の頃に戻って枕を並べ、姉の横顔を見つめながら眠りについたこの穏やかなひとときは、私の宝物となりました。 そして、何より姉が幸せを願ってやまない愛する息子と、再会の時間をもたせてあげることができました。手を繋ぎ、そっと寄り添う2人の姿は、とてもとても幸せなものでした。 静かに見守ってくださったマスコミ関係者の皆さま、ご配慮いただき本当にありがとうございました。 姉は一生懸命な人でした。 ちょっと頑固で、バカみたいに正直で、本当は傷付きやすい心を見せず、何があっても自分の責任だと、真っ直ぐ前を向く勇気がある人でした。 自慢の姉でした。 どうか皆さま、 姉のとびきりの笑顔を 空を見上げた その声を、その歌声を、その指先を、 忘れないでいてあげてください。 私にとって姉は「大好きなお姉ちゃん」であるとともに「みなさんの中山美穂」であり、「永遠のシャイニングスター」です。 これからは皆さまが姉を思い出してくださる時、そのきっかけのひとつとなれますよう、 その思い出があたたかなものでありますように、私も俳優として、より精進して参ります。 見守ってくださいましたら幸いです。 良いときも悪いときも 別れ際に姉はいつも 「じゃあ、忍、あとはよろしくね」と…