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木山川で高齢女性の遺体見つかる【熊本】

木山川で高齢女性の遺体見つかる【熊本】(TKUテレビ熊本) - Yahoo!ニュース

木山川で高齢女性の遺体見つかる【熊本】 (24/12/04 19:00)

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【西武】不倫報道の源田壮亮は「処分なし」へ 球団関係者「家庭内の問題」

西武・源田壮亮内野手(31)が不倫関係を続けていたと25日の文春オンラインで報じられた。 記事によると、銀座の高級クラブで働く20代女性と1年近くにわたって交際し、11月に開催された国際大会「プレミア12」で台湾遠征中に密会。同月末に行われた選手会納会ゴルフの前日にも、埼玉・川越市内のホテルに同宿させるなど逢瀬を重ねていたという。 源田は2019年10月に元乃木坂46の衛藤美彩(31)と結婚。夫婦の間には2人の子供がおり、ともに〝温泉県〟である大分出身のおしどり夫婦としてメディアへの露出も増えていた。源田は文春の直撃に不倫関係を認めており、本人のイメージダウンはもちろん、この問題が多方面に与える影響も懸念される。 チームにとっても大きな痛手だ。今季は49勝91敗3分けの借金42という歴史的な惨敗で最下位に沈んだ。西口文也監督(52)を新指揮官に迎え、再建を図る真っただ中にある。この日は球団の仕事納めで、奥村球団社長の「ファンの皆さまとひとつでも多く喜びを分かち合えるシーズンにすべく、一丸となって励んでまいります」とのコメントが発表されたばかりだった。 しかも、源田は来季も〝核〟となる戦力だ。チーム内の競争を促す西口監督は「今のところレギュラーは源田のみ。それしか考えていない」と源田の遊撃以外をすべて白紙としている。しかし、あろうことか唯一のレギュラーで、チームの顔でもある源田に不倫報道が飛び出したのだからショックは計り知れない。 今回の源田の報道を受け、球団関係者は「記事内容を見ても分かる通り、この件は源田の家庭内の問題。特に本人に対する処分などは考えていません」と打ち明けた。 2020年以降、西武ではペナルティーを科せられた事例が複数件あったが「コロナ禍におけるチーム内ルールを破ったことによる処分」という。また、昨季中に知人女性とのトラブルが発覚した山川(現ソフトバンク)は「無期限の公式戦出場停止」だった。同関係者によると、この件は不起訴になったものの相手女性から被害届が出された上、警視庁から東京地検へ「書類送検された事態を重く受け止めての処分」だったいう。 今回の一件は「民法上の不貞行為にあたる家庭内の問題」と一線を引いているが、再建途上のチームは頭痛の種が尽きない状態となっている。

森口博子、中山美穂さんからの忘れられない言葉 FAXでやり取り「全てが美しい、誇らしい同期」

歌手の森口博子が24日、テレビ朝日系「昭和の名曲グランプリ2024」で、6日に亡くなった中山美穂さんについての「忘れられない言葉」を涙を浮かべながら明かした。 中山さんの歌う映像を紹介した後、中山さんと同期の森口は「キングレコードでも一緒で、ディレクターさんも一緒で、会ってるときも、会ってないときでもスタッフを通じて美穂ちゃんの頑張り、届いていた」とコメント。 「ドラマで共演しているときは、当時は携帯電話とかなかったときなので、夜中にファックスを送り合って。本名で呼んでくれていたが、忘れられない言葉が、すごく忙しかったときに美穂ちゃんが『心は元気ですか?』って書いてくれて」と言うと涙を浮かべた。 「普通は『体調は大丈夫ですか』とか書くのに、明日も頑張り過ぎないで楽しんでねって」と声を詰まらせた。「常に周りの人のことを見ていてくれた。本当に優しい美穂ちゃんだった。演じても歌っても話しても全て美しい。誇らしい同期だった」と言って涙をぬぐっていた。

矢部浩之 数千万の借金を肩代わり、一時は絶縁…他界した“ダメ人間”実父との複雑交流

「昔よく父親のダメ人間ぶりをネタにしていたんですけど。どうしようもない父親で、お酒、ギャンブル、大借金もして、物欲も強くて……。そんな父親が去年末に亡くなったんですよ」 こう語ったのは、ナインティナイン・矢部浩之(53)。12月24日に放送された『踊る!さんま御殿!!』の特番『Xマス特大さんま御殿 聖夜に人気者が大集合 お笑い怪獣50周年祭』(日本テレビ系)で、昨年末に他界した父の“最後の言葉”を明かした。 最後は声を出す力もなくなった父に、ひらがな50音のコミュニケーションボードを作ってあげたという矢部。「(父の)頭と耳はしっかりしているんで、こっちがしゃべったことをボードに指すと。『今日天気いいな、お父ちゃん』って言ったら、(父がボードを指して)『そうやな』で会話してたんですけど」と振り返った。 亡くなる1週間ほど前には手招きで矢部だけ呼ばれたといい、「ボード指したんですね。何を指すんかなと思ったら、『す』『ま』。うわ、これ最後に謝るんや(と思って)……。そこまで涙出てきたんですよ。『うわ、泣いてしまう、俺』と思ったら、続きがあって」とコメント。なんと父は「スマホがほしい」と求めてきたといい、「そんなことある?」「いま欲しがる? 天国行くのに?」とスタジオの笑いを誘っていた。 自ら“父をネタにしてきた”と語った矢部だが、これまでバラエティ番組などで実家の複雑な金銭事情を明かしてきた。 「矢部さんは何不自由なく育てられてきたそうですが、高校を卒業する間際に、両親が生活のために数千万円もの額を借り入れしていたことが発覚。ナインティナインでデビューして以降は、父からお金を無心されることが増えていったといいます。 さすがに矢部さんも“いい加減にしてくれ”と怒ったそうですが、お父さんから『勘当じゃ!』と“逆ギレ”されたとか。矢部さんは’16年2月放送の『解決! ナイナイアンサー!』(日本テレビ系)で、借金を自分が肩代わりして全額返済したと明かし、『腐っても親やな……。仕事もあって収入もあったから、そういう考え方できたと思うんでしょうね』と振り返っていました。 また同年11月には『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)で、“20年間黙っていたこと”として『実はうちの親父、前科一犯でした』と告白。矢部さんは兄から、父が若い頃に飲酒してケンカになり、警察の世話になったことを知らされたといいます。それでも番組では『矢部浩之は前科者の息子です』とジョークを飛ばし、場を盛り上げていましたね」(テレビ誌ライター) ■突然両親がやってきて、父が土下座でお金を催促したことも…… ’21年5月放送の『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)では、“借金完済の裏話”も語っていた矢部。 借金をめぐるケンカで「勘当じゃ!」とまで言ってきた父に、矢部も堪忍袋の緒が切れてしまい、「もう2度と連絡してくるな」と通告したという。とはいえモヤモヤした気持ちを抱えながら1カ月ほど経ったころ、両親が東京にある矢部の自宅を突然訪ねてくることに。父から土下座をされ「全部お父ちゃんが悪い」「ほんまに最後や、貸してくれ」と頼み込まれたといい、“今度こそ最後”という約束でお金を渡したと明かしていた。 「この時、矢部さんは大阪からやってきた両親のために、自分のマンションの隣にあるホテルを予約してあげたそうです。両親の宿泊代を支払うために翌日ホテルに行くと、ルームサービスまで頼んでいたことが発覚。矢部さんはこのエピソードを披露すると、『こいつら、反省してないな!』と冗談めかしてツッコミを入れていました。 矢部さんのお父さんは、すぐ人にお酒を振る舞うなど見栄をはってしまう性格だったそう。矢部さん自身も子どもの頃は、何でも買い与えてもらったといいます。矢部さんは後に別の番組でも、“自分が芸人になっていなかったら矢部家解散していました”と語っていました。それでもテレビ番組などで“面白いお父さん”と称するなど、慕っている印象です」(前出・テレビ誌ライター) そんな矢部も’13年3月に元TBSアナウンサーの青木裕子(41)と結婚し、現在は2児の父だ。同年4月放送の『めちゃ×2 祝ってるッ! 矢部浩之・裕子結婚披露宴 緊急生放送スペシャル!!』(フジテレビ系)では“公開披露宴”が行われたが、矢部家の出席者は長男・美幸さんだけだった。 当時、本誌が美幸さんを直撃すると、“矢部家ならでは”の事情をこう教えてくれた。 「(母は)パートが抜けられないんです。工場で働いていて、けっこう好待遇でなんと時給1,000円なんです。『東京まで行ったら、往復3万円はかかる。宿泊代を入れたら、もっとするわ。プラスマイナス考えたら、パート休めるわけないやん』と断言してました(笑)。貧乏暮らしが長かったですからねぇ。目の前のお金を、しゃにむに捕まえにいくんです。『今ある仕事を大切に』。矢部家の家訓です」 また当時、矢部の父はヒザの状態が悪く、三男は仕事が忙しかったといい、美幸さんは「壮大なコントに付き合うよりも、日々の仕事が大事ってことですね(笑)。これが、ウチのおかんの方針なんです」と語っていた。 父の傍若無人さに頭を悩まされたこともあったという矢部だが、家族を大切に思うからこそ苦労を笑いに昇華させられるのだろう。

「本物なん?」高須克弥にお見舞い贈った“まさかの差出人”にネット衝撃

11月27日から2カ月間の入院を自身のXで報告していた、がんで闘病中の「高須クリニック」の高須克弥院長(79)。12月23日、“ある人物”からお見舞いが届いたとXで報告した。 ’14年に尿管がんが見つかって以降、がんの再発を繰り返し、入退院を繰り返しながらがんと闘病中の高須院長。入院前のXの投稿では、《内臓が弱って抗がん剤に堪えられなくなりました。治療法を変えて戦います》とし、《僕が思いついた新しい方法》という治療法に挑戦すると明かしていた。 また、《とりあえず僕が治験します。がん治療装置のメーカー定価は16000万円です。昭和医大病院に寄付します》と、1億6000万円の治療機器を入院先の病院に寄付したとも明かした。高須院長は今年5月にもXで《新しい治療に挑戦。死んでたまるか》と投稿し、前向きに全身がんの治療に取り組んできた。 そして、《偉い人からお見舞いがきた。なう》と綴られた23日の投稿では、病室のベッドの上で親指を挙げたポーズで元気そうな姿を公開。ベッドサイドの棚には「御見舞」ののしが貼られた箱が置いてあり、差出人の名前はなんと「プーチン」と書かれていたのだ。 これにはX上でも驚きの声が続出。もしかしたらロシアのプーチン大統領本人からの贈り物かもしれないと疑う声も。 《まかさのプーチン!? 高須先生すげぇぇぇ!》 《ほ、本物のあの人から…?》 《これはネタなん?本物のプーチンなん?》 《最近どこにいるか不明言われてたけど まさかな。。》 幅広い人脈を持つ高須院長だけに、プーチンと知己を得ていても不思議ではない。ただ、そうはいってもあまりのビッグネームだけに、《これネタかガチかどっち?》と戸惑う声も。 「一瞬、まさか”ロシアのプーチン大統領?”となりますが、真偽は不明です。《偉い人から》という書き方に遊び心も感じられます。実は10月に、高須院長のクラスメイトだという“プーチン佐藤さん”という人物の誕生日を祝っていたことをXで報告しているので、そちらの“プーチン”の可能性もあるでしょう」(WEBメディア記者) 「この人なら、もしかしたら……」と思わせるところが、高須院長ならではか。 22年5月29日、事実婚の漫画家・西原理恵子と一緒に大相撲を観戦する高須院長 “不屈の人気力士”に自らの姿を重ね合わせていたのかもしれない

「日本が嫌なんて一切ないです!」KARA・知英が3年ぶりに日本での活動再開中「自分らしく楽しみたい」

韓国のガールズグループ・KARAのメンバーで女優の知英(ジヨン、30)が、約3年ぶりに日本での芸能活動を再開させている。大みそかにフジテレビ系で放送される「逃走中~大みそかSP~」(後8時52分)にも出演。このほどスポーツ報知の取材に、今後の抱負を語った。  サングラスをかけたハンターとの追いかけっこが人気の名物番組。「ハンターたちの足がめっちゃ速くて、怖かった! 夢に出てきそうです…」と苦笑いしながら振り返る。パリ五輪の日本代表選手らも共演者に顔を並べ、「走るのは苦手ですけど頑張りました。意外と健闘していると思います!」とアピールした。  KARAの大ヒット曲「ミスター」(09年)で、キュートに腰を振るヒップ・ダンスや、華のあるルックスで一世を風靡(ふうび)した。「日本の新聞社の取材を受けるのは久しぶり」というが、通訳の帯同はなし。流ちょうな日本語で「うれしいです! お~っきく載せてくださいね」と、長い腕を大きく広げてリクエストした。  今年11月に、2014~21年まで所属した古巣・スウィートパワーとの業務提携を発表。きっかけは、今夏に開催した来日コンサートの打ち合わせを行っていた際、「以前、日本でお世話になった事務所の社長は元気かな?と思って、連絡したんです。その後は成り行きで、またご一緒することになりました」と明かす。  21年に同社との契約が満了になり、韓国に帰国した際にファンの間では「日本での活動が嫌になっちゃったのかな?」と心配の声も上がった。知英は「日本が嫌なんて、一切ないです!」ときっぱり。「コロナ禍での渡航制限などがやっぱり大きかった。今回、日本で活動を再開することになり『おかえりなさい!』と皆さんから温かい言葉をいただけて、本当にうれしいです」と感謝を語る。  08年に15歳でKARAとしてデビューし、女優業でも多くの話題作に出演。「音楽や演技などジャンル関係なく、与えられた仕事を頑張りたい」と意欲をのぞかせる。  憧れの存在を「山口百恵さん!」と瞳を輝かせて明かし、「日本で活動し始めた当初に知ってからずっとファン。伝説ですよね。声も生きざまもかっこよくて大好き!」。「30代に突入してKARAの活動もお芝居も挑戦できる環境は奇跡。自分らしく楽しみたい」と、日本での活動“第2章”に胸を躍らせた。

津川雅彦さんと朝丘雪路さんが今年七回忌 一人娘・真由子が思い出を語る 没後に出てきた母の「大切なもの」

津川雅彦さんと朝丘雪路さんの一人娘で俳優の真由子が、26日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』(月~金 後1:00)に出演する。 今年、津川さんと朝丘さんの七回忌を迎えた。真由子に懐かしい映像とともに思い出をを聞く。2018年4月に朝丘さん、8月に津川さんを相次いで亡くし、しばらくは両親の映像を見ると涙が出たという真由子。 傷心の真由子を支えたのは夫だった。長年交際をしていたが、津川さんが結婚に反対し続けていた。しかし最後はついに結婚を認めてくれたのだという。母である朝丘さんは、子どもの頃から自分には興味がないと思っていたが、没後に「大切なもの」という箱が2つ出てきて、そこには意外なものが入っていたと語る。

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