老朽化した市民プールの修繕に、通りかかった人が6億円の寄付を表明。
愛知県旭市の市民プールは、開業から45年が経過し、利用者は毎年約2万人。
プールの老朽化が進み、雑草が生えるなどの問題が発生。
財政的な理由から、自治体によるリニューアルが困難な状況。
寄付を表明したのは50代の会社経営者で、名前や性別は公表しない意向。
寄付金はプールと付随する設備の回収に全額使用される。
寄付者は、地域の子供たちが将来自分の子供を連れて遊びに行ける環境を残したいと考えている。
老朽化した市民プールの修繕に、通りかかった人が6億円の寄付を表明。
愛知県旭市の市民プールは、開業から45年が経過し、利用者は毎年約2万人。
プールの老朽化が進み、雑草が生えるなどの問題が発生。
財政的な理由から、自治体によるリニューアルが困難な状況。
寄付を表明したのは50代の会社経営者で、名前や性別は公表しない意向。
寄付金はプールと付随する設備の回収に全額使用される。
寄付者は、地域の子供たちが将来自分の子供を連れて遊びに行ける環境を残したいと考えている。
歌手の木村拓哉が、20日放送のTBS系バラエティー番組『それSnow Manにやらせて下さいSP』に出演。同じ事務所の後輩であるSnow Manとディズニーシーのロケに向かう車内で、木村の運転のもと、スタッフなしの空間でトークを展開した。 「ファンのために事務所に残った」 Snow Manのメンバーから木村に「休日はなにをしていますか」、「セリフはどうやって覚えていますか」といった質問が次々と投げかけられるなか、深澤辰哉が「辞めようと思ったりしたことはないんですか」と聞くと木村は「全然あるよ」と即答。芸能界引退を考えたことがあると告白した。 「芸能界に入った当初はなにもすごいと思っていなかった。キャーって言われる人たちより、本当に歌がうまい人が僕は好きだったから。キャーって言われていることに対して全然魅力を感じてなかった」とアイドルとしての葛藤があったという木村。 それでも、17歳のときに蜷川幸雄さん演出の舞台に出演したことで「これ、すげえことやってんなって理解して初めて本腰になった」とも話した。 車がディズニーシーに近づくなか、ラウールが「いま同じ事務所にいられることが心強くて。いつも力になっていますが、自分が木村さんだったら事務所を辞める選択肢って視野に入りやすいかなと。選択しない理由はあったりするんですか」とつっこんだ質問をした。 すると木村は、「自分のことを考えたら辞めたほうがいいのかもしれないけど、自分だけでできている仕事じゃない。ファンの人がいてくれて俺ら初めて成立してるじゃん。その人たちってきっと、そのときからの自分のことや僕らみたいな人間関係性っていうのも込みで気持ちを向けてくれているんじゃないかなって思うから、そこかな」とファンの存在に言及。 「自分のことを考えたら全然やめたほうがいいと思う。自分単体ではあんまり考えてない」と回答した。 すると、SNS上はまたたく間に以下のようなコメントであふれた。 《ファンのために事務所に残ったっていうの衝撃すぎて言葉失う》 《私はジャニーズの木村拓哉が好きなんじゃない、SMAPの木村拓哉が好きなの》 《ファンのためというならすぐに事務所辞めて》 《拓哉さま ファンはSMAPをまた見たいのですよ》 《出て行った4人はファンのこと考えてないっていうの?》 《なんで「この事務所から出たら応援されない」って思っちゃうんだろ》 《どうしたら、事務所を辞めてほしいファンの思いは木村くんに届くの》 ファンとしては、木村がどこにいようと応援するし、本音としては事務所をやめてSMAPが復活するのを望んでいるのだろう。ファンのために事務所に残ったという木村の発言を理解しがたいファンが多いようだ。 また、なかには《もう馬鹿すぎて本当に悲しい》という意見も。
2024年12月6日に死去した歌手で俳優の中山美穂さんの元夫で作家、ミュージシャンの辻仁成さんが、21日にXを更新。「父ちゃんからのお願い」とするメッセージに、「刺さった」などとする反響が多く寄せられている。 「嫌われたくないからといって…」 辻さんは「自分が壊れてまで人に優しくするの無し」と呼びかけ、「嫌われたくないからといって、みんなに優しくすると必ず辛くなります」と説明した。 続けて、次のようにメッセージをつづった。 「優しい人と思われなくても生きていける今がきついなら、やめてよし無理して嫌われなくていいが無理して好かれなくてもいいのだとにかく周りは気にせず生きなさい」 この投稿に、ネットでは 「優しい言葉」「ブッ刺さって泣いた」「涙出てくる…」「今一番欲しかった言葉」 といった声が寄せられている。
上皇さまが91歳の誕生日を迎えられました。天皇皇后両陛下の長女・愛子さまはけさ、インフルエンザの診断をうけ、天皇ご一家は祝賀行事への出席を取りやめられました。 91歳の誕生日を迎えられた上皇さま。お住まいの仙洞御所では、午前中から祝賀行事が行われています。 弟の常陸宮さま、妃の華子さまら皇族方や職員の代表などから祝賀を受けると、上皇さまは感謝の気持ちを示されたということです。10月に脚を骨折した上皇后さまも杖をつかずに立たれていたということです。 天皇ご一家はけさ、愛子さまが侍医からインフルエンザと診断されたことをうけ、出席を取りやめられました。 宮内庁によりますと、愛子さまはきのう夜、38度台の熱と咳があったということです。両陛下の体調に変化はなく、愛子さまは27日まで日本赤十字社への出勤や行事への出席を控え、お住まいの御所で療養されます。 上皇さまは今年5月、戦時中の疎開先だった栃木県日光市を訪れ、8月には長野県軽井沢町に滞在してキャベツ畑を散策されました。 宮内庁は上皇さまの体調について、心不全の診断指標となるBNP値がやや高いものの、比較的安定した状態が続いているとしています。
宮内庁は23日、天皇、皇后両陛下の長女愛子さま(23)がインフルエンザと診断されたと発表した。両陛下に症状はない。 愛子さまは22日夜、38度台の発熱とせきの症状があり、23日朝に検査をしたところインフルエンザに感染されていることが判明した。27日まで予定していた行事などへの出席を控えるという。 愛子さまは23日午前、仙洞御所(東京都港区)で、この日91歳の誕生日を迎えた上皇さまと、上皇后美智子さまにあいさつをする予定だったが取りやめた。両陛下も大事をとって上皇ご夫妻へのあいさつを見送った。また、天皇陛下は23日夜の展覧会の鑑賞も取りやめた。【高島博之】
俳優の川島海荷さん(30)が23日、SNSを更新し、競泳の中村克(かつみ)選手(30)と結婚したことを発表しました。 ご報告があります。私事ではありますが、わたし川島海荷は中村克さんと入籍いたしました」と報告。 続けて「彼の優しさに惹かれ、そして目標に向かって真っ直ぐ突き進んでいく力強さ、とても尊敬しています。私はまだまだ未熟者で至らないところが沢山あるのですが、彼と支え合いながら、そして切磋琢磨して、これからも変わらず頑張っていきたいと思っています」と心境をつづりました。 そして「2024年が終わろうとしている中、人生の1つの分岐点を皆様にお伝えすることができて嬉しく思います。いつも支えてくださっている関係者の方、そしていつも応援してくれている皆さん、2025年からもどうぞよろしくお願いいたします。年末くれぐれも体調などお気をつけて、良いクリスマス、そして良い年をお迎えください!」と喜びを明かしました。 ■中村選手もSNSを更新「彼女は優しく僕を照らしてくれる太陽の様な存在です」 川島海荷さんのインスタグラムより 一方、中村選手も自身のインスタグラムを更新し「彼女は優しく僕を照らしてくれる太陽の様な存在です」と川島さんへの思いをつづっています。 川島さんと中村選手は、ともに1994年生まれの30歳。川島さんは、ドラマ『怪物くん』など多くの作品に出演。また、2016年10月から2019年3月まで、朝の情報番組『ZIP!』3代目総合司会を務めました。中村選手は、2016年のリオオリンピック、2021年の東京オリンピックなどに出場しています。
女優で歌手の中山美穂さんが6日、東京・渋谷区の自宅で亡くなったことが分かった。54歳だった。 中山さんは同日の午後にビルボード大阪でライブ「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」を予定していたが、仕事現場に姿を見せなかったことから関係者が自宅を訪問したところ、自宅の浴槽で見つかった。その後、搬送先の病院で死亡が確認された。 現在、警視庁が亡くなった経緯や死因について調べているが、今のところ詳しいことはわかっていない。 「今月5日、中山さんはインスタグラムで東京・六本木ヒルズの森美術館で開催中の『ルイーズ・ブルジョワ展』を鑑賞したことを報告しています。一部では、その投稿の中の『2、3日心がえぐられて、一緒に行った友としか会話が出来なかった。 写真下手だけど、上手くてもなんにも表現できない』といった内容が注目を集めています。ただ、現場には遺書などはなく、5日の夜にも事務所関係者と仕事に関するメッセージのやりとりをしていたようです。浴槽内で見つかった状況から、溺死やヒートショックの可能性もあるとみられています」(民放テレビ局の情報番組スタッフ) かつてのトップアイドルにして人気女優の突然の訃報に、ネット上では「本当にショックです!」や「いまだに信じられない」「まさかミポリンが…」など驚きと悲しみの声があふれている。 6日夜には所属事務所も公式サイトでコメントを発表。 「日頃よりお世話になっている関係者の皆様及び応援してくださっているファンの皆様に、突然このようなお知らせをすることになり、心苦しいばかりですが、あまりに突然の出来事で、弊社も驚きと悲しみで呆然としております。なお、死因等の詳細は現在確認中です」と悲痛な思いをつづっている。 中山さんは1985年年にTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で女優デビュー。同年に『C』で歌手デビューを果たし、80年代半ばから90年代にかけて「ミポリン」の愛称でトップアイドルとして人気を博した。