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川島海荷、結婚を発表 お相手は競泳・中村克選手「彼の優しさに惹かれ」

女優の川島海荷(30)が23日、自身のインスタグラムを通じ、競泳の中村克(30)との結婚を発表した。速報》川島海荷、競泳の中村克選手との結婚を発表!

中田圭祐&川島海荷がシリーズ初の“再会キス”…「私たち結婚しました 3」最終話 | cinemacafe.net

川島は、ブルーのドレスに包まれた幸せいっぱいのウエディングショットを公開し「いつもお世話になっている皆さまにご報告があります。私事ではありますが、わたし川島海荷は中村克さんと入籍いたしました」と報告した。

お相手の中村は、競泳でリオデジャネイロ、東京五輪日本代表となった同い年のアスリート。「彼の優しさに惹かれ、そして目標に向かって真っ直ぐ突き進んでいく力強さ、とても尊敬しています」とつづり「私はまだまだ未熟者で至らないところが沢山あるのですが、彼と支え合いながら、そして切磋琢磨して、これからも変わらず頑張っていきたいと思っています」と決意を新たにした。

「2024年が終わろうとしている中、人生の1つの分岐点を皆様にお伝えすることができて嬉しく思います」と喜びを語り「いつも支えてくださっている関係者の方、そしていつも応援してくれている皆さん、2025年からもどうぞよろしくお願いいたします」と呼びかけた。

◇川島 海荷(かわしま・うみか)1994年(平6)3月3日生まれ、埼玉県出身。明大文学部卒。小6でスカウトされ芸能界入り。2006年に女優デビュー。出演作にドラマ「怪物くん」「パパドル!」など。07~16年にアイドルグループ「9nine」としても活動。1メートル55、血液型O。

◇中村 克(なかむら・かつみ)1994年(平6)2月21日生まれ、東京都出身。男子100メートル自由形の日本記録保持者。16年リオデジャネイロ五輪、21年東京五輪代表。東京・武蔵野高、早大出、イトマン東進。1メートル83、80キロ。

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フォトグラファーのKoukiさんとの結婚を9月に発表し、今月22日には第1子出産をインスタグラムで報告した元プロバレーボール選手の栗原恵さん。解説者やスポーツコメンテーターとして活躍しながら、ファッションアイテムをプロデュースするなど活動の場を広げています。先日、出産前の栗原さんに心境や感情の変化などインタビューしました。選手時代に悩まされた生理、そして30代で突然襲われた病など、女性としての体と向き合いながら過ごしてきた栗原さん。その思いを語ってくれました。(※取材は2024年12月上旬に行われたものです) 40歳で訪れた結婚と妊娠のタイミング 今、私のお腹には新しい命がありますが、生理不順に悩んだことや、32歳のときに大病したことなどがあり、実は長らく妊娠は難しいのではと思っていました。 兵庫県にあるバレーボールの強豪校に転校したのは、中学2年生の頃。当時は生理不順で、ずっと経血が出ている状態が続き、6月に転校したので体育の水泳の授業は毎回、見学していたんです。それで体育の先生に事情を話したら、「病院へ行ったほうがいい」と言われて。 診察をしたら、環境の変化と急激な練習量の増加、そしてひとり暮らしなどによる精神的負担からくるものでした。その後、新しい環境にも慣れると、自然と生理の間隔も戻っていきました。 そういった経験や、生理痛とPMSが重かったことから、生理がプレーやコンディションに影響していると感じていました。さらに、3回目の膝の手術につながるけがをしたときが、ちょうど生理のタイミングと重なっていたのもあり、その調整をしたいという思いからピルを飲み始めました。 ピルは、けがのリハビリ期間に婦人科で診ていただき、医療処方をしてもらいました。最初は吐き気や食欲不振などがあり、薬に慣れるまでに少し時間がかかりましたが、コンディショニングがとても楽になりました。 その後、32歳のときにひどい頭痛でトレーナーに連れられて病院を受診すると、「脳血栓」を発症していました。原因はピルの“副作用”。低用量ピルで血栓症を起こす確率は、年間で1万人のうち数人といわれています。すぐに投薬治療を始めて、4か月後にはコートに戻りました。 それから2年半プレーし、現役を引退したのは34歳のときです。脳血栓という病気を乗り越えて復帰して、すごく体のコンディションも良くて、所属チームから「もう1年どうですか」と言ってもらえたときに「今のタイミングで辞められたら、バレーボールに未練が残らない」と次のステージに対して楽しみを抱いている自分に気づき、引退を決意しました。

市川由紀乃がインスタライブで復帰「お仕事に一歩踏み出せたんだなって喜びを感じますね」

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女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」

女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」 身近な存在であり、同じ女性だからこそ、母親の存在は強く、影響されやすい。 作家・下重暁子さんは、女優・秋吉久美子さんが尊敬する母親を“家庭内キャリアウーマン”と表現する。秋吉さんが幼少期の頃、交友関係に口を出さず、いつも相手をリスペクトしていた母。そして、夫がアポなしの来客を連れてきてもテキパキと応対した。 “暁子命”だったという下重さんの母親。しかし、高校の同級生で下重さんが一方的に好意を持っていたという金髪のクラスメイトに対して、ネガティブな発言をしていたことを聞いた下重さんは、憤慨したと振り返る。 2人が母親から受け継いだものは何なのか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんによる特別対談『母を葬る』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。 母から受け継いだもの 下重: そういえば秋吉さん、この対談で初めにご挨拶した時に、私のことを「下重先生」なんて呼ぶものだから、仰天しましたよ(笑)。慌ててやめていただいたけど、あれはいったいどうしたの? 秋吉: これは私なりの仁義の一つなんです。年上の女性に対しては、とりわけ尊敬の念をもって接するように心がけている。自分よりも多くの年月を生きている人には敬意を払ってしかるべきだと考えていますから。 下重: そういう思いが込められていたということね。それは、相手が身内であっても変わらない? 秋吉: そうなんです。母のことは好きだったし尊敬もしていた。相手へのリスペクトをもって接するという心の持ちかたは、後に社会へ出てからも私を支えてくれました。 下重: そうでしょうね。 秋吉: 私が小学生の頃、非常に貧しいおうちの友達がいたんです。同級生の女の子でした。私は何も気にしない性質(たち)ですが、母も「遊んじゃだめ」なんて一言もいいません。穏やかな優しい子で、おはじきを教えてもらったりした。夢中になるとお互いの頭がくっつきあって、それでどうやら、私の髪にシラミが湧いちゃったんです。 下重: その子の髪から、秋吉さんの髪にシラミが移ってきちゃった? 秋吉: おそらく。それを見つけた母は、「あらあら、シラミがついてきちゃったわね」というと、丁寧に櫛ですいて、親指の爪で一つひとつプチンとつぶした。 下重: 素敵なお母さま。 秋吉: やがてその女の子は別の地域の市営住宅へ引っ越していきました。それっきり、一緒に遊ぶどころか顔を合わせることもなくなった。それが、小学校も中学校も卒業した頃、母が街でその子とばったり再会したというんです。 彼女は中学を出てお勤めしていたらしくて、母は「今も笑顔がかわいかったわよ」っていうんですよ。大げさに思われるかもしれないけど、あの時、母の顔がマリア様のようにみえた。 下重:…

【警戒】“クリスマス寒波”で猛吹雪…26日以降は“年末寒波”の見通し 関東で今季初の積雪1メートル超 群馬・万座温泉スキー場では“銅線泥棒”でリフト4本運休も

クリスマス寒波の襲来で日本海側を中心に大雪となっています。 関東でも積雪が1メートルを超えた場所があり、各地で警戒が強まっています。 屋根から次々と落ちてくる雪。 落下はなかなか収まらず、滝のように落ち続け、目の前に雪が積み上がりました。 危険な落雪の様子が撮影されたのは、積雪が43cmに達した福島・南会津町。 動画を投稿した観光物産協会は、こうした落雪は命に関わる恐れがあるとして、建物の近くを歩く際は屋根に積もる雪の状況を確認し、十分に距離を取るよう呼びかけています。 各地に大雪をもたらしているのは、クリスマス寒波です。 雪が降りしきる中、ヘッドライトをつけて走行する車。 青森市内ではホワイトアウトが発生し、ライトなしでは対向車が確認できない危険な状況となりました。 穏やかな光景から吹雪へと変わったのは秋田・横手市。 車は十分に車間距離をとって走行し、歩行者はフードをかぶって雪をしのいでいました。 23日は全観測地点の約7割の633地点で冬日となる寒い1日となりました。 最低気温が氷点下7.8度の熊本・阿蘇市では「目と口が凍ってました。やばかった。でもママの怒鳴り声で起きました」といった声が聞かれました。 北海道・美瑛町を走っていた車のドライブレコーダーが捉えたのは、雪にタイヤを取られたのか、道の先に落ちかけている車です。 さらに走っていると、前方から迫る赤いトラックの後ろから来た車が突然スリップし、目の前へ。 危うく正面衝突するところでした。 目撃者: 今までで一番恐怖を感じた瞬間。北海道の道、比較的広いけど、冬になると雪で脇がかなり狭いので、本当にギリギリ。やばいやばいやばいって身の危険を感じた。 23日は関東でも今シーズン初めて積雪が1メートルを超えました。 群馬・みなかみ町藤原の男性は「今年一番の雪だね。ここ(膝下)まであるから、50cmぐらい」と話しました。 道路は除雪車が雪をかき分け、やっと通行できる状況でした。 群馬県内では、温泉街にも雪景色が広がっています。 積雪が54cmに達した草津温泉では、湯畑と雪のコラボレーションを観光客がカメラに収めていました。 しかし滑りやすい路面には油断禁物です。 訪れた男性も「ヒヤッとしました」と話していました。 一方、困ったことになっているのが群馬・嬬恋村の万座温泉スキー場です。 1980年代後半に一世を風靡(ふうび)した映画「私をスキーに連れてって」のロケ地として知られ、昨シーズンはスキー客ら約6万人が訪れました。 しかし、今シーズンはというと、ゲレンデに雪があるにもかかわらず動いていないリフトがありました。…

愛子さまがインフルエンザ感染 38度台の発熱やせきの症状 上皇さまの誕生日祝う行事への出席も急きょ取りやめ

愛子さまがインフルエンザ感染 38度台の発熱やせきの症状 上皇さまの誕生日祝う行事への出席も急きょ取りやめ 宮内庁は、愛子さまがインフルエンザに感染されたと発表しました。 宮内庁によりますと、愛子さまは22日夜、38度台の発熱やせきの症状があり、検査の結果インフルエンザへの感染が確認されたということです。 このため、23日午前に予定されていた上皇さまの91歳の誕生日を祝う行事への出席を急きょ取りやめられました。 両陛下は症状はありませんが、大事を取り、お祝いの挨拶を控えられたということです。 愛子さまは、23日朝は熱が37度台に下がっていて、27日までお住まいの御所で療養し、日本赤十字社の勤務も休まれます。

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