羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故から2025年1月で1年になるのを前に、23日追悼式が行われました。
1月2日の羽田空港での衝突事故では、海上保安庁の機体に乗っていた5人が死亡しました。2025年1月で事故から1年になるのを前に第三管区海上保安本部は追悼式を行い、宮本伸二本部長は「尊い犠牲を無駄にすることなく、世界一安全な現場を実現することを約束する」と述べました。
羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故から2025年1月で1年になるのを前に、23日追悼式が行われました。
1月2日の羽田空港での衝突事故では、海上保安庁の機体に乗っていた5人が死亡しました。2025年1月で事故から1年になるのを前に第三管区海上保安本部は追悼式を行い、宮本伸二本部長は「尊い犠牲を無駄にすることなく、世界一安全な現場を実現することを約束する」と述べました。
フォロワー370万人超えの巨大アカウントが、再び動き出した。12月1日、長澤まさみ(37才)が約1年ぶりにインスタグラムを更新。彼女は2023年11月、投稿を1件だけ残して突然“全削除”したことで話題になっていた。 「当時、所属事務所は《深い意味はございません》と説明しましたが、急な出来事に心配の声も上がっていました。それだけに、今回の再開はファンの間で注目されている。何か心境の変化があったのか……」(芸能関係者) 復活投稿の第1弾を飾ったのは、長澤がモード系ファッションに身を包んだ1枚のモノクロ写真だ。 「生足の美しさが映える大胆ショットです。さらにアイコン写真も、洗練されたニットを着こなす長澤さんの写真に変わっています」(前出・芸能関係者) それらの写真は、長澤の“芸能界のお姉ちゃん”とも言うべき人物がスタイリングを担当しているという。 「所属事務所の先輩である野波麻帆さん(44才)です。最近は女優業に加え、スタイリストとしても活動しています」(前出・芸能関係者) 7才違いで、長澤が小学生のときに出会った2人は「まぁちゃん・麻帆ちゃん」と呼び合う仲だという。 「定期的にプレゼントを贈り合うなど、プライベートでも仲がいいそうです。実は服好きの野波さんに、『スタイリストをやってみたら?』と提案したのが長澤さん。2024年からは2人でタッグを組む仕事が連続していて、専属スタイリストのような存在になっている」(ファッション誌関係者) 以前、野波はインタビューで《パブリックなイメージとは違う、本当の彼女の姿を見せたい》と語っていた。長澤の“素”を知っているからこそ、引き出せる魅力があるのだろう。 「実際、彼女が選ぶ服の組み合わせは、『これまでの長澤さんのキャラクターとはひと味違う』と評判です。長澤さんとしても、自身のSNSを通して野波さんの仕事ぶりを発信したかったから、突然の再開となったのかもしれませんね」(前出・ファッション誌関係者) 所属事務所は今回の再開について「気分だと思います」と回答したが、巨大アカウントの影響力は計り知れない──。 ※女性セブン2025年1月2・9日号
女優・秋吉久美子が“家庭内キャリアウーマン”の母から受け継いだ品性。離婚時にその母が記者へ放った一言に娘も「さすがだと…」 身近な存在であり、同じ女性だからこそ、母親の存在は強く、影響されやすい。 作家・下重暁子さんは、女優・秋吉久美子さんが尊敬する母親を“家庭内キャリアウーマン”と表現する。秋吉さんが幼少期の頃、交友関係に口を出さず、いつも相手をリスペクトしていた母。そして、夫がアポなしの来客を連れてきてもテキパキと応対した。 “暁子命”だったという下重さんの母親。しかし、高校の同級生で下重さんが一方的に好意を持っていたという金髪のクラスメイトに対して、ネガティブな発言をしていたことを聞いた下重さんは、憤慨したと振り返る。 2人が母親から受け継いだものは何なのか。女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんによる特別対談『母を葬る』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。 母から受け継いだもの 下重: そういえば秋吉さん、この対談で初めにご挨拶した時に、私のことを「下重先生」なんて呼ぶものだから、仰天しましたよ(笑)。慌ててやめていただいたけど、あれはいったいどうしたの? 秋吉: これは私なりの仁義の一つなんです。年上の女性に対しては、とりわけ尊敬の念をもって接するように心がけている。自分よりも多くの年月を生きている人には敬意を払ってしかるべきだと考えていますから。 下重: そういう思いが込められていたということね。それは、相手が身内であっても変わらない? 秋吉: そうなんです。母のことは好きだったし尊敬もしていた。相手へのリスペクトをもって接するという心の持ちかたは、後に社会へ出てからも私を支えてくれました。 下重: そうでしょうね。 秋吉: 私が小学生の頃、非常に貧しいおうちの友達がいたんです。同級生の女の子でした。私は何も気にしない性質(たち)ですが、母も「遊んじゃだめ」なんて一言もいいません。穏やかな優しい子で、おはじきを教えてもらったりした。夢中になるとお互いの頭がくっつきあって、それでどうやら、私の髪にシラミが湧いちゃったんです。 下重: その子の髪から、秋吉さんの髪にシラミが移ってきちゃった? 秋吉: おそらく。それを見つけた母は、「あらあら、シラミがついてきちゃったわね」というと、丁寧に櫛ですいて、親指の爪で一つひとつプチンとつぶした。 下重: 素敵なお母さま。 秋吉: やがてその女の子は別の地域の市営住宅へ引っ越していきました。それっきり、一緒に遊ぶどころか顔を合わせることもなくなった。それが、小学校も中学校も卒業した頃、母が街でその子とばったり再会したというんです。 彼女は中学を出てお勤めしていたらしくて、母は「今も笑顔がかわいかったわよ」っていうんですよ。大げさに思われるかもしれないけど、あの時、母の顔がマリア様のようにみえた。 下重:…
クリスマス寒波の襲来で日本海側を中心に大雪となっています。 関東でも積雪が1メートルを超えた場所があり、各地で警戒が強まっています。 屋根から次々と落ちてくる雪。 落下はなかなか収まらず、滝のように落ち続け、目の前に雪が積み上がりました。 危険な落雪の様子が撮影されたのは、積雪が43cmに達した福島・南会津町。 動画を投稿した観光物産協会は、こうした落雪は命に関わる恐れがあるとして、建物の近くを歩く際は屋根に積もる雪の状況を確認し、十分に距離を取るよう呼びかけています。 各地に大雪をもたらしているのは、クリスマス寒波です。 雪が降りしきる中、ヘッドライトをつけて走行する車。 青森市内ではホワイトアウトが発生し、ライトなしでは対向車が確認できない危険な状況となりました。 穏やかな光景から吹雪へと変わったのは秋田・横手市。 車は十分に車間距離をとって走行し、歩行者はフードをかぶって雪をしのいでいました。 23日は全観測地点の約7割の633地点で冬日となる寒い1日となりました。 最低気温が氷点下7.8度の熊本・阿蘇市では「目と口が凍ってました。やばかった。でもママの怒鳴り声で起きました」といった声が聞かれました。 北海道・美瑛町を走っていた車のドライブレコーダーが捉えたのは、雪にタイヤを取られたのか、道の先に落ちかけている車です。 さらに走っていると、前方から迫る赤いトラックの後ろから来た車が突然スリップし、目の前へ。 危うく正面衝突するところでした。 目撃者: 今までで一番恐怖を感じた瞬間。北海道の道、比較的広いけど、冬になると雪で脇がかなり狭いので、本当にギリギリ。やばいやばいやばいって身の危険を感じた。 23日は関東でも今シーズン初めて積雪が1メートルを超えました。 群馬・みなかみ町藤原の男性は「今年一番の雪だね。ここ(膝下)まであるから、50cmぐらい」と話しました。 道路は除雪車が雪をかき分け、やっと通行できる状況でした。 群馬県内では、温泉街にも雪景色が広がっています。 積雪が54cmに達した草津温泉では、湯畑と雪のコラボレーションを観光客がカメラに収めていました。 しかし滑りやすい路面には油断禁物です。 訪れた男性も「ヒヤッとしました」と話していました。 一方、困ったことになっているのが群馬・嬬恋村の万座温泉スキー場です。 1980年代後半に一世を風靡(ふうび)した映画「私をスキーに連れてって」のロケ地として知られ、昨シーズンはスキー客ら約6万人が訪れました。 しかし、今シーズンはというと、ゲレンデに雪があるにもかかわらず動いていないリフトがありました。…
愛子さまがインフルエンザ感染 38度台の発熱やせきの症状 上皇さまの誕生日祝う行事への出席も急きょ取りやめ 宮内庁は、愛子さまがインフルエンザに感染されたと発表しました。 宮内庁によりますと、愛子さまは22日夜、38度台の発熱やせきの症状があり、検査の結果インフルエンザへの感染が確認されたということです。 このため、23日午前に予定されていた上皇さまの91歳の誕生日を祝う行事への出席を急きょ取りやめられました。 両陛下は症状はありませんが、大事を取り、お祝いの挨拶を控えられたということです。 愛子さまは、23日朝は熱が37度台に下がっていて、27日までお住まいの御所で療養し、日本赤十字社の勤務も休まれます。
元宝塚歌劇トップ娘役で女優の加茂さくら(かも・さくら、本名・大谷照子=おおたに・てるこ)さんが21日午後6時30分、肺がんのため、兵庫県西宮市内の病院で亡くなった。87歳だった。 同じ宝塚OG・加茂すみれで元プロボウラーの妹・茂子さんによると、加茂さんは長くがんを患い「肺は真っ白」。今年6月に一人暮らしの自宅で倒れ、入院した。それでも「100歳まで頑張る」と、11月の東京でのディナーショーに医師が同行して出演するなど元気だったが、21日午前に容体が急変。親族らは最期をみとることができず、茂子さんは「あっけなかった…」と無念。生涯独身を貫いたが「自分がやりたいことができなくなる」が理由だった。 加茂さんは1955年に宝塚歌劇に入り「プリマドンナ」と呼ばれる美しさと高い歌唱力で61~68年に明石照子さん、眞帆志ぶきさん(ともに雪組トップ、故人)の相手役を務めた。71年退団後はドラマ、映画などで脇役として活躍し、フジテレビ系情報番組「3時のあなた」の司会も務めた。 実母の介護のため97年から芸能活動を一時休止し、兵庫・尼崎市で喫茶店を経営していた。通夜は24日午後6時、告別式は25日午後2時から、尼崎市西長洲町2の2の46、クレリ尼崎ホールで。喪主は弟・大谷清(おおたに・きよし)さん。 ◆加茂 さくら(かも・さくら)本名・大谷照子。1937年7月16日、東京都出身。55年に宝塚歌劇に42期生で入団。歌劇団100周年の2014年に創設の「宝塚歌劇の殿堂」100人に名を連ねた。
開始早々、視聴者数は800名近くにのぼり、この日のライブ配信への注目度の高さが伺われました。 ライブ配信は終始アットホームな雰囲気で行われ、スタッフからクリスマスの思い出を聞かれると、小学生時代、靴下を枕元に置いておいたところ、翌朝見ると「お金」と「手紙」が入っており、カタカナで「イソガシクテカエナカッタカラジブンデカッテネ」と書かれていたという、笑えるエピソードを披露。 ファンからのコメントで、帽子について触れられると、ウィッグや帽子などで、今しかできない「おしゃれ」を楽しんでいることを明かしました。 6月から治療が続く中、ファンの方々からの手紙やお守り、千羽鶴、ブログへのコメントなどが常に背中を押してくれたとコメント。くじけそうになることもあったが「この経験は私が歌う上で必要な経験だったんだと、皆さんが思っていただけるような、そういう歌をこれから届けたい」と、決意を述べていました。 市川由紀乃さん また、検査を受けるよう、すすめてくれたのは、大先輩の由紀さおりさんであったことを明かし、検査から手術、抗がん剤の治療についても詳しく説明。 抗がん剤で髪が抜けることは辛かったが、現実を受け止めて一歩踏み出し、思い切ってベリーショートにして気持ちを切り替えたと明かしました。 また、母と二人三脚で、抗がん剤治療を乗り越えたことも明かし、最後の抗がん剤治療が終わった時に初めて見た、母の涙で、改めて親孝行をしたいと強く感じたことを語りました。 また、復帰後初となる単独コンサートについても、市川さんの口から発表されました。 2025年5月19日(月)、地元埼玉のサンシティ越谷市民ホールを皮切りに、5月28日(水)、29日(木)大阪新歌舞伎座、6月20日(金) 日本特殊陶業市民会館フォレストホールにて開催されるということです。 市川さんは「ありがとうの気持ちをいっぱい込めて、応援していて良かったと思っていただけるコンサートにしたい」と、希望に満ちた表情で意気込みを語り、約1時間にわたるライブ配信を締めくくりました。