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嵐・二宮和也、ラジオで「SMAPエグいな。ちょっと異次元だな」発言のワケ

二宮和也、嵐の20周年記念ツアーの“銀テープ”にまつわるエピソード明かす
番組には、2009年8月から10年1月にかけて行われた嵐のデビュー10周年記念コンサート『ARASHI Anniversary Tour 5×10』で放たれた“銀テープ”を友達のお母さんから譲ってもらったというリスナーから、「今でも大切な宝物です」というメッセージが届いた。

二宮はこれを受け、「(銀テープは)いつからそういうようなアイテムになったんでしょうね」「あれ、片付けるのマジで大変だから」とコメント。持ち帰る人が出てきたために、「味気ないテープを持って帰ってもらうのもなんだから、ツアータイトルを入れるとかしてあげたほうが……ってことなんじゃないかな」と、銀テープにデザインが施されるようになった経緯を推測した。

続けて、18年11月から19年12月にかけて行われた20周年記念ツアー『ARASHI Anniversary Tour 5×20』の打ち上げで、「50公演がいかに大変だったか?」という話になると、「銀テープの総メーター数、台湾まで行くみたいなこと言ってたよね」と述懐。近くにいたスタッフからは、「地球7周分だった気がします」との声も聞こえてきた。

また二宮は、「『松本潤の総打ち合わせ時間』とか出てたよね? もうみんな、打ち合わせなんて聞かないで時間計ってると俺は思ってたけど……(笑)」と笑って振り返っていた。

続けて、「銀テープ文化もあったんだけど、ジュニアが手で投げようっていう時期が一時期あって……」と話し始め、紙のテープを曲の終わりに投げる演出があった際、「やったことないから、みんなめちゃくちゃテープが切れちゃって、玉のまま飛んでってすごいクレームがきて……」と、ジュニア時代のエピソードを披露。

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「きれに飛んでくときはすっごい綺麗に飛ぶのよ。でも、そもそも汗かいてるし、絶対(紙のテープは)切れるよねって。懐かしいな……」としみじみ語ったのだった。

嵐・二宮和也、「SMAPエグい」「ちょっと異次元」と語ったワケ
その後、リスナーから届いたメールをきっかけに、TBSの看板ドラマ枠「日曜劇場」の出演回数についてトーク。番組では以前、「二宮のことを褒めているエピソードがあったら教えてください」と募集していたが、今回、「俳優の小宮璃央さんが、『日曜劇場に二宮和也さんが出ていたら見なきゃ!』と思うみたいな、信頼される役者になりたいと言っていました」という報告が到着。

「二宮さんは、『これにこの人が出ている』というので、見るものはありますか?」という質問も寄せられ、本人は「でも、みんなそれぞれいるんじゃないですか? 『この人が出るなら面白いかもって……」と前置きしつつ、「僕も阿部寛とか出てると……」と告白。

続けて、「ヒロシアベは面白いですからね、やっぱりね」「阿部寛はやっぱり別格ですもんね」と称賛し、「『メンノン』でしたっけ? 単独最長記録を持っていたって言ってましたよね、表紙の。そこらへんも面白いもんな」と、阿部がファッション誌「MEN’S NON-NO」(集英社)のカリスマモデルだったことにも言及。

また、自身が主演した『ブラックペアン』シリーズや『VIVANT』の放送枠である「日曜劇場」の“最多主演回数”に触れ、1位は同率で田村正和、木村拓哉が7回、3位は6回の阿部であると紹介した。

そして、4回で4位に稲垣吾郎と中居正広が入っていることから、「SMAPエグいな、ちょっと異次元だな」とコメント。自身は唐沢寿明、高橋克典、妻夫木聡、堺雅人と並び3回で6位にランクインしているものの、1位を獲得するのは「無理です」と言い切っていた。

この日の放送に、ネット上では、「銀テはライブの思い出になるよね」「銀テは全部ケースに入れて飾ってるよ」「松本潤の総打合せ時間、それ教えていただいていいですか」「二宮くん、阿部寛さん大好きだな」「SMAP本当にエグいね」「日曜劇場じゃなくても二宮くんが出演してるドラマは見たいよ!」などのコメントが寄せられていた。

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神田正輝 沙也加さん逝去から3年…“激ヤセ重病説”を乗り越え送る内縁妻との「穏やかな日々」

‘21年に神田沙也加さん(享年35)がミュージカル公演のために滞在していた北海道で亡くなってから、12月18日で3年が経った。愛娘を失い、悲しみに暮れていた松田聖子(62)と神田正輝(73)だが、時が流れ、前向きな変化を見せているという。 「聖子さんは‘21年末に紅白出演が予定していましたが沙也加さんの逝去を受けて、辞退し、他の仕事もすべてキャンセルしました。 再びファンの前に姿を現したのは‘22年4月のディナーショーで、以降はコンサートやディナーショーを毎年開催しています。沙也加さんが亡くなってからテレビ出演のオファーを断っていましたが、‘24年3月の音楽番組『MUSIC FAIR』(フジテレビ系)でテレビ復帰し、美声を響かせました」(芸能関係者) 一方の神田は‘18年のドラマ『下町ロケット』(TBS系)を最後に俳優の仕事を行っておらず、‘22年6月には個人事務所を解散させた。 ‘97年からMCを務めていた『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)には出演し続けていたものの、`23年5月ごろからSNS上で“激やせ”を指摘する声が相次ぎ、同年11月から約2か月の間、“体のメンテナンス”のために休養。そして‘24年9月に同番組を卒業していた。 ‘24年7月に神田が『旅サラダ』で共演していた勝俣州和(59)のYouTubeチャンネル「勝俣かっちゃんねる」にゲスト出演した際には、“激ヤセ&重病”説を否定し、“ファスティングを長期間やっていたため”と説明していた。 現在、神田はつかの間の休息を満喫しているようだ。11月下旬の16時過ぎ、本誌はゴルフから帰宅する姿を目撃している。 ゴルフ場から自家用車を運転して帰宅した神田。後部座席に置いた重いゴルフバッグを下すと、助手席には内縁の妻の姿も。ゴルフバッグを軽々と肩に担ぎ、玄関に進むと、運転席に移動して車を運転する内縁の妻に穏やかな表情で手を振るなど、元気いっぱいの様子だった。近所の住人いわく、最近は頻繁にゴルフに行っており、以前より顔色もよいという。 沙也加さんがこの世を去ってから3年。一歩ずつ前に進む聖子と神田の歩みを、見守っていることだろう。

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